【歌舞伎鳩】傾城反魂香・児雷也・扇獅子(六月大歌舞伎)
歌舞伎座新開場十周年 六月大歌舞伎
2023年6月3日(土)~25日(日)
昼の部:傾城反魂香・児雷也・扇獅子
夜の部:義経千本桜
一幕見席というのが復活したらしいと聞き、予約ができると聞いたのでやってみた(学び:「一幕見」とは、数幕上演しているうちの一幕だけを見ること / とても安価)。
てっきり立ち見なのかと思っていたが、どうやら席があるらしい。
観劇をするときはできるだけ良い席で見ることが長年の信条である鳩でしたが、しかしそんな懐の余裕もないし、まず空席案内を見ても安い席はすべて出払っているしで、ええいままよと一幕見で見に行くことに。
六月は、昼の部と夜の部に分かれており、観劇したのは昼の部。
傾城反魂香の二幕を見るだけのつもりだったのに、結局後日児雷也と扇獅子も見ました。
傾城反魂香
ざっくりとしたあらすじ:生来の吃り(注:吃音症)からうまく口がきけない大津絵の絵師・又平と、その妻おとくの夫婦愛の物語。
又平の師匠土佐将監を見舞う二人。
言葉の不自由な又平に変わって免許皆伝(土佐の苗字を授かる)をおとくが願い出るも、絵の道で功績を上げなければ許さないとの返答。
折しも屋敷の近くで虎が出没する騒動が起こる。
その虎は狩野元信の描いた絵から抜け出てきたものであったが、又平の弟弟子・修理之助がそれを退治し、又平よりも先に免許皆伝してしまう。
不甲斐ない思いをしているところへ伝令が入り、姫が捕らえられたというので、それを助けに行こうと思うも又平はうまくその思いを伝えられない。
結局その役目すら修理之助に奪われ、免許皆伝の願いも叶えらず、又平はこれもすべて生来の吃りのせいだと絶望し、死を決意する。
この世の名残に、庭の手水鉢を石塔の代わりとして自画像を描くと、その自画像は手水鉢を突き抜けて、裏側に浮き出るという奇跡を起こす……。
きちんとしたあらすじはこちら。
上記のあらすじ記載の場面が「土佐将監閑居の場」、通称「吃又」。
その後、逃れてきた姫を又平夫婦が家に匿い、追手を大津絵の精たちが追い払う場面が「浮世又平住家の場」(読み方が怪しい……)。
この「浮世又平住家の場」という場面がかかるのが、どうも50数年ぶりらしい? ものすごく珍しいとのこと。
また、どうもほんとうはこの前段と後段があるらしい?(いきなり出てくる虎などの理屈はここにありそう)
浮世又平:市川中車
又平女房おとく:中村壱太郎
土佐将監光信:中村歌六
土佐修理展助:市川團子
土佐将監閑居の場
少し長くてダレるところもあるにせよ、全体的にはコメディタッチになっていて面白かった。
又平は自分で話を切り出すことができないため、言いたいことがあると奥さんの袖を後ろから引くのが少し可愛い。愛嬌のある人だった。
そして主人が喋れないため、妻が開幕から本当によく喋る。
あんなに喋る女の役ってあるんだなあと思った。
全て思い通りにいかずに、またおとくも切羽詰まって詰っているように聞こえるようなことを言ってしまうため、手をあげる又平に少し驚いた。
絵から抜け出た虎が、着ぐるみ?かな、多分、だったのですが、なんかもちゃっとしていて……笑う場面でないのに笑いそうになってしまった。虎可愛い……。
歌舞伎の演目のこと、なんでだか勝手に色恋沙汰みたいなものと、戦闘(殺陣)メインのもの、踊り(連獅子みたいな)ばかりのイメージでいたので、コメディのようなものもあるんだなあと思った。
しかしそのコメディ感と、又平夫婦が追い詰められていく感じの遣る瀬なさのバランスが良く、あわや泣くところでした……。
あの絵が抜ける手水鉢、どういう仕組みですか!?!?!?
何も知らずにぼんやり眺めていたのでほんとうにびっくりしてしまった。
ラストあたり、えっへんという感じで舞うのがまた愛らしい又平。可愛い。
絵師ってそもそも身分が武士のことあるんですか……?(勉強不足)
絵師は絵師という身分なんだと(強いて言えば町人? 商人みたいな? もはやそういう階級とは違うところにあるものだと)とばかり思っていたので、完全に武士で驚いた。
(学び:水盃について / 今生の別れになるかもしれない時などに、酒のかわりに水を飲み交わすというならわし)
(休憩)
お隣のマダムに話しかけられて得た学び:
・宙乗り(学び:ワイヤーで飛ぶやつ)があるときは幕見席も面白い
→七月 / 八月の歌舞伎座で演目あり
・坂東玉三郎とコンビを組むと、その相手が人気になる?
・国立劇場は良い劇場なので、建て替え前に行くとよい(10月ごろ建て替えにより一時閉館 / チケットも安め)(行ってきました↓)
浮世又平住家の場
大津絵の絵姿が抜け出してきて追手をやっつける! という分かりやすいストーリーを踊りで見せるもので、武士?(あいまい):わかる、座頭:わかる、ののち、鯰の擬人化が出てきてしまい、それだけで楽しくなっちゃった……。
「瓢箪鯰」という有名な絵柄らしいということは後で検索して分かりましたが、それにしても美人の鯰が出てくるとは、予想し得まい……。
(その後美人の鯰があまりにも忘れられずブロマイドを買う鳩)
舞台に幕が降りた後に花道を帰る演出があるのを初めて知った(学び:"引っ込み"という)。
又平は言葉をうまく使えないので、始終表情で表現しているのが良かった。
特に免許皆伝してからはにこにこで人の良さが出ている。可愛い。
最後、役者さんが揃ってお辞儀して「これでおしまい」みたいな口上(細かい台詞は覚えていない……)を述べて終わったのだけど、そういうやり方もあるのね(学び:"切口上"という)。
おしまい!って感じですっきり終わって良かった。
(休憩)
一日目はここでおしまいにした。
主にもっちゃりした虎と鯰の擬人化で楽しくなってしまい満足して帰ったのですが、なぜか後日あと二幕見に来ていました……。
児雷也
ざっくりとしたあらすじ:
1. 尾形弘行が山中の家で出会った女性は、離れ離れになっていた許嫁・綱手であった。
なんやかんやあり(うろ覚え)綱手に連れられて弘行が対面したのは仙素道人。
仙素道人は、弘行の親の仇は大蛇丸だと告げ、その仇を取りお家再興を為せという。
仙素道人から蝦蟇の妖術を授かった弘行は児雷也を名乗り、綱手とともに大蛇丸との戦いに出立する。
2. 児雷也と綱手、高砂勇美之助(味方)、山賊夜叉五郎(敵)の四人で、秘伝の書をめぐっての取り合いが行われる。
きちんとしたあらすじはこちら、と言いたいところなのですが、リンク先でも、「それ以外のあら筋は、ほとんどありません」など書かれています……。
この記事を書くにあたり調べていて知ったのですが、どうやら「児雷也豪傑譚」という長いお話をぎゅっと短縮させたもののよう(参考サイト:明日もシアター日和)。
演目名で、蝦蟇……? という勘が働いたのはNARUTOを見ていたからですが、実際NARUTOの名付け方などはこのお話を発想の元にしているのですかね。
なんたる逆輸入。
尾形弘行:中村芝翫
綱手:片岡孝太郎
仙素道人:中村松江
高砂勇美之助:中村橋之助
山賊夜叉五郎:尾上松緑
もっちゃりした虎と鯰の擬人化にキャッキャしてたわけでもうお分かりかとは思いますが、蝦蟇!!!!!!!!!
蝦蟇がちゃんと飛んで跳ねて、口をぱくぱくし、見得を切るのが楽しすぎてはしゃぎました。
蝦蟇に拍手を送ることもそうはない。
あれは中に入るの、ものすごい運動量で大変だろうなあ。
あとすっぽんから出入りするのを初めて見た。蝦蟇だもんね……。
弘行が一晩の宿を借り、そこの娘(綱手)に一目惚れ?して?美しい……!とか言いながら、でも気がつかれそうになると誤魔化すくだりがあり面白かった。
いちゃいちゃするじゃん〜〜〜〜〜〜と思っていると、なんか争いになり綱手が妖術をかけて(?)(なんで?)弘行を仙人のところに連れ出すのだけど、筋書も読んでいないしちょっとそのあたりが飲み込めていない。
許嫁だと気づく要素として、双方の腕に牡丹の痣があり、そんな風雅な痣があってたまるか……の気持ちになった。
でもこういうちょっとしたありそうでない非現実的な要素って楽しいですね。
秘伝の書の取り合いをするところは"だんまり"という演出方法。(学び:暗闇の中で繰り広げられる無言劇を"だんまり"という / 暗闇の中でさまざまな人物が宝物などを取り合うのがお決まり / もちろん舞台上は暗闇ではない)
イヤホンガイドを借りていなかったので、なんとなくどうにかこうにか台詞を拾っていたけれども、案外分かるかもしれない。
見ていて気がついたんですが、六月=梅雨=蝦蟇でこの演目ですか???
(休憩)
一幕見席は休憩の度に総入れ替えになるので、指定席予約の際にいろんな席を選べるのが楽しい。幕見で連続で見る際にはおすすめです。
扇獅子
おおまかな内容:江戸・日本橋の芸者たちが移ろう四季の中で舞う、華やかな踊り。
(学び:こういう演目を"所作事"というのかな? / 舞踊の演目のこと)
詳しい内容はこちら。
芸者:中村福助
同 :中村壱太郎
同 :坂東新悟
同 :中村種之助
同 :中村米吉
同 :中村児太郎
なんか美人の芸者さんたちが花見できゃっきゃしたりたまにいさかったりして舞うのを見る演目だった……。
なんていうか……なに……? ただただ可愛い……。 ?
きゃっきゃしている様などがなにをとっても女性でしかなく、一瞬我に返りました(役者さんはみんな男性)。
毛振りがあり、先日見た連獅子とはまた違って、芸者さんの格好でするので、なんか見慣れない感じだった(この演目で毛を振る振付は初めてらしい)。
さっきまで可愛らしい芸者さんたちだったので、そんな頭ぶんぶん振って大丈夫ですか……? という心配の気持ちが出てきてしまう(役者さんなので絶対大丈夫なんだけども)。
そして、たぶん頭に鈴がついていて、毛を振るたびにしゃんしゃん鳴っているのが、可憐なのか厳しいのか不思議な感じがしました。
大迫りが動いて太鼓橋が出てきたのにすげ〜となった。
あんな大道具ごと出し入れできるんですねあれ。
橋の上に、とても貫禄のある芸者さんが……!
舞われないのかな? と思っていてのちほど知ったのですが、脳出血で倒れられてリハビリ中なのだそうで、でもそれでも舞台に立つという矜持のようなものが、とても良いなと思った。
おしまい。
児雷也と扇獅子を見た日は、三階の上手下手にそれぞれ大向こうさんがおり、声の掛け方がどちらも違ったのが面白かった。
おまけ
傾城反魂香を見た際に、お隣のマダムに教えてもらった展示 坂東玉三郎 衣装展「四季・自然・生命~時の移ろいと自然美~」(セイコーハウス銀座ホール)を見に行ってみました。
あの和光の建物に足を踏み入れる日が来るとは正直思っていなかった。
こちとらただの鳩ですからこわごわ戦々恐々ですよ。
ともかくも入ることができましたので、少しだけ画像をどうぞ。
近くでまじまじ見て思ったんですが、織に総刺繍に……何kgあるんですかねこの衣装……?
これにまた豪華な帯もあるはずで、鬘も髪飾りもつけて、相当な重さを纏って演じたり舞ったりしているんですね。ただすごい。
写真では分かりづらいんですが、衣装の名前の通り暗めの紗が重ねて仕立ててあって、幽玄な雰囲気を出しているのが技術だ……と思いました。
桜を縁取った金の刺繍が紗に施されていて、樹木自体と花、篝火は地の反物に染めてあった。
こうすることでほんのわずかな奥行きがでて、その見え方の揺らぎが雰囲気につながっているんだなあ。
一方こちらも紗はかかっているけれど(写真にモアレが出ているのでわかりやすいかも)、これは夏に感じる涼しさの表現かな。
萩(秋の花)は涼しさを先取りするために、夏の着物によく用いられるそう(キャプションより)。
唐織の着物恐ろしい……恐ろしいよ……どれだけの手間ひま労力時間がかかった着物なんだろう……。しかもこんな込み入った柄……!
拝み倒したくなる着物でした。
伊勢海老に鏡餅に門松に羽子板……お正月のおめでた柄なのはわかるのですが、そんなに盛り盛りにしなくても……。
しかし実際に舞台上でこの衣装を見ると、とても豪華でお正月らしく、良いのだろうな。
縫い付けられている金糸が揺れるのも華やかなのだろう。
着物は着られてこそだと常から思っているので、実際に着用された上演回を見てみたいと思いました。
これを人が纏って動くと、また見え方が違うのだろうなあ。
また、ところどころ着用のあと(つりやほつれなど)があり(展示側としては見てほしくないかもしれないけど……)、それもまた素晴らしかった。
おそらくこの各衣装で一ヶ月くらい?は日々公演をこなしていたはずで、そういうものがないと嘘だと鳩は思っています。
衣装の耐久性がないとかそういう話ではなく、それこそが飾りではない着物としての役目をまっとうしている姿だと勝手に思っているからです。