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【文学フリマ東京37/N-11】出る(かもしれない)新刊予告(2023/11/11/sat)

2023年5月の文フリ東京で配布していた、「出る(かもしれない)新刊予告」です。
11月文フリ東京で、出るかもしれないし、出ないかもしれない。
内容が変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。
掲載文章は校正の段階で全削除の可能性もある。
そういう新刊予告も良いものですね。

現在の進捗報告をしておきますと、3/100です(2023年10月5日現在)。
新刊の進退、乞う御期待。

我が波間文庫はN-11に配置されました。




自らの人生をぼんやり歩く男から見る主演の世界。

 世間には、普通に暮してゐるだけで、主演を演じてゐるやうな、そんな人間がいくらかある。私は到底それにはなれぬのだと悟った時、たとへば文士にでもなって、さういふ世間一般の、つまらぬ鬱憤を晴してやろうと決めたのだ。しかしそれは大義名分であり、実際のところはたゞ……たゞ、自らがその主演たりえぬことに耐え切れなかったゞけである。
(中略)
 相澤の兄の話をしよう。兄はつい先頃まで死んでいると思われていて、家には立派な仏壇と、花の絶えない墓があった。兄は戦死の報一つとどこだか分からぬ骨のようなものとして家に帰ってきて、その上新聞がその名誉の死を取り沙汰したものであったが、当の本人はなんと無傷で、ある日ひょっこり帰ってきたのである。
 兄の帰ってきたのに出会したのは、偶然玄関先に出た相澤で、その姿が見覚えのある凛々しい顔で立っているのだから、あまりのことに息を飲んで膝から頽れかけたものである。兄の方といえば自分がまさか死んだことになっているとは露にも思っていないものだから、弟の恐怖の色をした狼狽ぶりに当惑するばかりだった。
「御霊が帰ってきてくださった」など相澤の散り散りとなった言葉を拾い集めてようやく事態を理解した兄は、その日がよりによって弟の結納の前日であることを知った。(中略)
 しかし兄が帰ってきたというのであれば、相澤はあえてそのようなことをせずとも良い。元の通りに兄が長男の座に収まってしまえば万事解決である。それは喜ばしいことであるのは当然だから、相澤は、すぐさま大声を上げてでも兄の帰還を知らせる心算であった。相澤が家内を振り向いて大声を上げる直前、しかし兄が弟を強い声で制する。
「あと数日、姿を晦ますから、何も知らないふりをして静と結婚してやってほしい」
兄は振り向いた相澤に、穏やかにそう申し立てた。静とは、言わずもがな兄の妻である。呆気に取られて何故と問えば、兄はその整った顔を斜に逸らして、ただ「一緒になりたい女がいる」と言った。その心当たりは相澤にはなく、返事を考えあぐねていると「家督も、継ぎたいのであれば譲ろう」と、なんでもないことのように兄は続けるので、相澤は言葉を失ってしまった。
「まさか、そんな」
相澤は、家のことを手伝いはしていたものの、自らに家長としての貫禄や度胸がないことを知っていた。

明治後期・不満はない人生を生きる相澤と、その周辺の主役たち。
仮題「主演」(湊乃はと)


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