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平成小品集(2/3)

2019年5月発行の「平成小品集」。
書籍は完売、再販の予定もないため、内容を抜粋して公開します。
小説とも随想ともとれぬ、ショートショートの数々です。
前半は東京について。後半は小説のようなもの。

他の小品もよろしければどうぞ。




平成小品

東京

東京駅
 トーキョーは架空の都市であると思っていた。人の津波が毎日寄せる新宿、若さの溢れぶつかる渋谷。古い時計の鳴り続ける銀座、もうずっと玄関のような顔をした東京。
 ふと手にした画集をぱらぱらやると、浮世絵が江戸の人々を生活させている。また小説を読む。漱石が明治の三四郎池に美女を配し、谷崎が大正手前の水天宮前を駆け出している。今度は映画を見る。ゴジラが昭和の人々を再び疎開に追いやろうとする。きわめつけにテレビをつける。足踏みすらしたことのない平成のお台場の天気を、飽くことなく全国のお茶の間に映している。遠く田舎に住んでいてもどこかで毎日見かけているような心持ちの東京の街並は、日本人が皆等しく見る白昼夢だと、嘘だと思えて仕方がない。
 新宿駅構内で人波に流され、渋谷から恵比寿迄歩き、銀座のエルメスギャラリーを恐縮しながら鑑賞して、ぼんやりと三十分ばかし歩くと、そこにはどっしりと構えた駅舎が、当たり前に玄関のような顔をして、しかしほんとうにそこにあった。
 東京に上がって五年も迎えた遅い春、初めて東京駅を見る。


皇居
 普通自動車第一種運転免許などという代物を取れと言われる儘に取ったのはいいものの、普通自動車を運転する機会に恵まれない。身分証と成り果てたそれの古い証明写真なるものは、髪の長さも色も化粧も今と違えばほんとうに身分を証明してくれるのか甚だ疑問であるけれど、その札がそれを私だと言うのできっとそうなのだろう。
 ところで宮崎市内から綾町まで車で十五分くらいだった気がする。宮崎市内からモアイ像まで車で三十分。宮崎市内から都農のワイナリーまで車で三十分。それで、新宿から六本木までは電車で十分。新宿から銀座までは電車で二十分。新宿から日本橋まで、電車で三十分。そうなんだけれどね。新宿から六本木を歩くとはたして一時間ちょっとかかるのを知っている? 宮崎市内から綾町までがどの程度かを、知っている? そちらに生まれ育って長く居て、こちらに出てきてもう数年経つけれども、乗り物に乗る時間の長さでしか地図が形成されていない。宮崎では運転免許に私がいるけれども、東京では電車ばかり乗っているのだから、却説私は何処にいるのだろう。なんだかつまらないので、ていきけん、というこちらで初めて買った電車の札の及ばない土地を踏破しようと靴紐を結びなおすと、皇居のお堀の夜桜が足元に舞っている。


銀座
 地下鉄の階段を上がりきったところで、さてここはどこだと立ち止まる。ここはまるで京都のように、碁盤の目を敷いて並べたような街だ。何処へ行っても同じような細々した建物が並び、外壁には縦長の、店の名前の連なったネオンがぶら下がっている。似たような街角にすぐに迷子になるのでこの街は苦手だった。
 街の看板は交差点の古い時計台のついた建物で、つい今しがた時報の鐘が鳴った。ぼーん、ぼーん。振り返ると大通りには黒服の玄関給仕の控える店が規則正しく並んでいる。玄関給仕玄関給仕玄関給仕。私はただ大通りを目的地まで歩いているだけであるのに、白い手袋を後ろ手に隠した黒い目が、通り過ぎ行く私をじろじろと見ている。居心地が悪いけれどももう仕方がないのでそのまま歩く。ずんずん歩く。そのうち高架にぶっつかった。高架とは言うものの歩道を通す気がなかったらしくただの行き止まりだ。壁。ざらざらとした、苔むした壁。どこかで道を間違えたかしら。手元に持っていたはずの地図もどこかに打ち遣ってしまったらしい。壁を伝っていくものの何の解決にもならず、何処まで行っても右手に壁と左手に点在する玄関給仕に挟まれたままだ。不相応だと言うように奴らがじろじろするので段々腹が立ってきて、なんなら大通りを一本入っただけの路地で、高級銘柄の服を着たまま焼豚でも売ってやろうかと思った。
 ……ぼーん、ぼーん。振り返ると銀座の和光のショウウィンドウの前でぼんやりしている。夢を見ていたのかもしれない。


日本橋
 東京の高速道路は、鹿や猪注意のhumorousな看板の出る田舎のそれとは違い、流れる景色が代わり映えもしない灰色のビルの並びであるらしいと高等学校の修学旅行で知った。それでそれらがどうやら川の上を走っているらしいと気づいたのはつい最近のことなのだけれど、なるほどだからあのよく見る日本橋の風情のなさはつくられているのだなとやっと納得した。江戸の昔より浮世絵にある橋なのだから、川が流れているところにかかっていなければ嘘なのだ。水天宮前の高架下の、暗渠にかかっていた橋の名残を歩いていると、ふと、田舎に住んでいるとき、そのあまりに情緒のない日本橋の景色を画面で見ているといつでも惜しい気持ちになったのを思い出した。折角だからほんものを見てやろうという意地の悪い気がむくむくと起き出してきて、ついかの日本橋に足を向ける。
 東京に上がって六年目を迎えようとする春、初めて日本橋を渡る。
 やつぱり、日本橋は今日も高架の日陰になっている。けれども日本の地面の狭いために、上空に建物も道路も積み上げてきたとは、どうしても人も車も収納したくて日本人が駄々を捏ねたあとのように思われて、すこし可笑しかった。


新宿
 トーキョーにについての一番古い記憶にある街は、くさかったという印象がある。それがどんな臭いかと聞かれても、明確に答えることはできないのだけれど、なんというか独特の、人間くさい臭い、とでも言おうか、まあそんなような臭いがしていた。
 田舎から出てきた私にとってそこはいつでも人間が氾濫している、わけのわからない街だった。そこには氾濫しているだけあって、なんでもある(それはトーキョーにはなんでもある、ということとはすこし違った)。何と言っても一番に、どこもかしこも人の欲がうずまいていた。夕暮れ時に待ち合わせで佇んでいるとすぐに髪を逆立てた調子のいいお兄さんたちに捕まる。すこし地図を見て戸惑っていると、にやにや笑いのおじさんにじろじろと見られる。確かに元よりトーキョーいちの不夜城であることは知っていたけれども、欲望を隠そうとしない人間たちに初めて突き合わされた時は言いようもなく気持ち悪かった。しかしトーキョーに上がって六年が経ち、新宿の地図がどことなく私の頭の中に出来上がってしまった今では、私もその街に慣らされてしまっている。あの独特の人間くさい臭いも、今ではもうわからなくなってしまった。或いは私も、同じ臭いをさせているのかもしれない。


東京タワー
 全体、東京タワーが好きだ。赤くて、さんかくの、骨組みだけの美しいフォルム。きみはあの塔よりも東京を一目でわかる場所を知っている? 東京は、されど東京なのだから、勿論名所は沢山あるだろう。赤い提灯の雷門、対に構えた都庁、緑の屋根の国技館、人の津波とすれ違うスクランブル交差点……。それらは各々、浅草や新宿、両国、渋谷の顔を担っているけれど、トーキョーという大きな都市の顔をしているのはやつぱりあの赤い鉄塔なのだ。
 あの赤はどこから見ても東京の仄青い空によく映えるために、東京タワーの麓を歩き回るのはとてもたのしい。浜松町駅を出て振り返ると余程近くに見える。増上寺の細い横道を通ると植わった桜の隙間から覗いている。東麻布から飯倉の交差点へ出た大通りからは土地の傾斜のせいか不思議な距離感でそびえ立つ。けれどもっともあれを美しく見せるのは、もう少し離れたところにあるとある場所。あのシンプルな赤が、灰色の詰まったビル群に埋まっているのが見えるところ。東京タワーを眺むる喫煙所。そこはきっと知っている人も多いけれど、私はその場所をきみに教えてあげない。

平成二十九年一月一日


プラトニックにつらぬいて

「失礼ですが、わたくしに、愛、とは何か、といふことを、ひとつ説いてくださいますまいか。わたくしには、それが何だか、未だよくわからないのです。ことばを仕事にしてしまふあなたなら、わたくしを納得させるやうな理屈を、説いてくださるのではと思ふのです。
わたくしの元には毎日たくさんの恋文といふものが届きます。あまたのひとがわたくしに愛といふものを教へやうと云ふのです。しかしどの文に於いても、わたくしを真に打ちのめす言葉はありませんでした。またわたくしに、あまたのひとが愛といふものを耳打ちします。わたくしはそれを天井を見詰め乍ら、また敷布を見乍ら、ただ、聞いてゐる。男も、女も、みなさうして、わたくしの身分を手のうちに入れたやうな気になって、一人勝手に満足してゐます。これは、愛ですか? わたくしにはちっともわかりませぬ。それだのにわたくしの周りには何故か人が絶へず居て、画工はわたくしを画題に、文士は文題にします。それは勝手なことですから、好きにすればいいのですけれど、みながこぞってわたくしを、悪女や、艶婦のやうに扱ふのは不思議です。わたくし自身は、愛といふ単純なものごとをすらわかっていないといふのに、みながわたくしを、それを知って持て余してゐるかのやうに仕立てあげる。わたくしは、題にはなりませう。それはわたくしのやうな女の身分が、あなたがたの生きてゐるところから浮いてゐるやうに見へるからです。わたくしを御自らの近いところまで引きずり下ろしてご覧なさい。わたくしはただの、ありきたりの女であることをわかってしまふでせう。それなのにそれを、あなたはしやうと云ふのですね。

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