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【映画鳩】千年女優・PERFECT BLUE・君たちはどう生きるか(7月)
(注:以下ネタバレあります)
千年女優
十云年ぶりに見ました。
走るというシーンのつなぎと、ラストシーンだけを鮮烈に覚えていた。
昔見た時はおそらく読み取れていなかったような気がすることが読み取れるようになっていて、映像やアニメーションや物語に対する解像度が上がったなあと思うなど。
鍵の君は千代子にとって、恋しい人であり、色恋を知った人だけれど、それ以上に、憧れ、目標、活力、夢や輝きそれ自体、つまり自らの目指すところの偶像にまで上り詰めたのだろう。
「あの人を追いかけている自分が好き」というのも、ただ恋に恋する自分が好きだということではなく、目の眩むような未来の明るさの象徴、その明るさに向かって直走る努力を重ねることそのものが好ましいということだと思った。
千代子はずっと走っていて、この走るシーンの映像美が何度見ても素晴らしい。あの疾走感。身体よりも先に心が走っていっているような演出。
鍵の君を追いかけるために走っているけれど、大切なのは追いかけることなのではなく、千代子が自発的に"走っている"ことそのもので、鍵の君はその活力・燃料だったのだな。
はじめは恋から始まったのかもしれないけれど、大人になるにつれて現実もすべて見えてきて、それでも全てをわかった上で目を瞑る盲目さをきっと千代子は自覚している。
鍵の君は、きらきらするだけの夢や恋から、地に足をつけた現実、それでもなお輝く光として、千代子にとってはある種ひとつのコンテンツのようなものになったのではないだろうか。
そしてそれはきっと今の言葉で言えば"推し"に近いのかもしれない。
*鳩が小説「くちなし」の千鶴子を書いた時、どこか脳裏にこの藤原千代子がいなかったか? と見ていて少し思った。
PERFECT BLUE
こちらも云十年ぶりに見て、解像度が爆上がりしていることに気がつき、そのためにあまりにつらく目を瞑りたくなった。
昔見た時から、ずっとあの身体への被害は現実なのかどうなのかが分からなくて、でもその実際は分からずとも関係のないことだろう。
「ほんとうはやりたくなかったに決まってる」のようなあのセリフのシーン、それが身体の物理的な被害のみで出てくるセリフのはずがない。
あのシーンのあまりの残酷さ。見ていてかなり厳しい。
アイドルでなくても女優として、未麻は自分が偶像としてそこに在ることを理解して選択し、作り上げていく。
ルミちゃんは自分の経験からそれを理解しているし、ルミちゃんが一番未麻のことを、正しく"アイドル"として消費していたのだと思った。
ルミちゃんは最終的には狂ってしまっているけれども、偶像をいいことに美麻個人の身体を、勝手に顧客に消費させようとする男たちを許せない、その怒り自体は間違ったものでもなく、普遍的なものだと信じたい。
話の構成として未麻の境遇が見ていられない(あまりに映像の構成が素晴らしく、観客へ恐怖や不快感や悲しみを訴えてくるため)のだけれども、やっぱりサスペンス? サイコスリラー? として物語も映像もものすごく面白いのは間違いない。
素晴らしい映画なのにあまり積極的に見たくないリストに改めて名を連ねてしまった。
*映画のタイトルとしての表記ってカタカナなんですかね? 映画の中では英語で表記されてる?
君たちはどう生きるか
もうここまできたら絶対になんの情報も入れたくないと思ってとった初日レイトショー、それでも見るまでに最速ネタバレ2つ(主題歌と声優)を踏み、おのれTwitterと恨みを募らせました(余談)。
マヒトの視点がとても現実の人間に近く、綺麗事だけではないものが描かれているのがまずは良かった。
そしてキリコのような背景美術がとても良かったなあ。
こういった主人公の設定や絵の作り方、今までは避けてきたのではないだろうか。
後ろ向きな人物設定や、ちょっと不思議な、説明的でない余白のような表現は、誰でもが明快にストーリーを楽しむことに特化したファンタジーにとってはわかりにくすぎる。
誰もが楽しめるフィクションとしては、そういった要素は"ノイズ"だ。
そういった今まで物語の"ノイズ"になりうるために削ってきたものを、今ここにきて出してきたのでは?
公開前になんの情報も確かになかったけれど、でもまあいつもの宮崎駿の表現をなんとなく想定はしていたので、こういったジブリとしては新しい表現が堂々と現れてきたことに感嘆した。
宮崎駿が常に新しい表現を模索し、実践し続けているのが伺える。
今ここでこんな表現を出されるのだとしたら、これからもっと進化し、深化させていくことができそうで、それはつまり、まだまだ新しい作品に期待したいということ。
宮崎駿は引退中らしいですが、もう生涯引退中で結構なので、ずっと映画を作り続けてほしい。
これは気のせいかも分からないのですが、今までの作品のどれよりも、コミカルな表現が多かった?
世界観の設定などで明確に表していない部分も多々あるため、そういったところとバランスをとっているのだろうか。
表現には余白を取り入れるけれども小難しくしたくない、ファンタジーとして楽しんで欲しい、という心が感じられるなと思った。
それからあの世界は今も私たちの隣にあるような気がする。
ファンタジーでフィクションだけれど、決して嘘ではないような、そういうふうに感じられた。
あとは細かいところ。
・夏子さんがマヒトに「あなたの弟か妹ですよ」と言って、腹に手を添えさせるシーン、まだ母の死を受け入れられない子供にとってはぎょっとする行為だろうなと思った。
しかもその新しい母は、死んだ母の妹(時代的に仕方がないところではあるだろうが)で、きっと多少お顔立ちも似ているのだろうし。
それでなくとも、女性の腹に衣服越しだろうと唐突に触れさせられるというのは衝撃的なような気がする。
・お父さんが活躍できないのがちょっと好き。
マヒトが男の子だから、大人の男が助けに入ったら(わざとでなくても)成長を阻害されるようでいけないのかもしれない。
・青鷺……お前……そんな……。でもいいやつだな。
青鷺と話すことで、マヒトの心が少しずつ開けていくのが良かった。
・夏子さんを助けようとする思いは、きっとずっとどこかでわだかまっていた気持ちがようやくあそこで解消できたために湧き出したのだろうなあ。
母の死が受け入れられない、新しい母も受け入れられない、けれど夏子さん本人自体は自分に悪く当たるわけでもないし、好意的な人を受け入れたくはあるものの、それがどうしてもできない歪みがずっとあったのだろう。
苦しかっただろうなあ。
・鳥!こわい!鳥ってあんなに恐ろしく描けるんだなあ。
・キリコおばあちゃんって、おばあちゃんと呼ばれているけれどもあのおばあちゃんズの中で一番若いんじゃないだろうか。
実は現代の感覚からすると全然若い年齢だったりして。
・ずっと死の匂いがしている気がする。と思っていたらあからさまに死の島をモチーフとした絵面が出てきた。
・以下ツイート、鳩が自分で思いつくことはなかったけれども、とても納得した。
宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」
— かまいるか💪🐬🦾 (@Kama_iruka) July 16, 2023
金曜からぼんやり考えてたけど杉井ギサブロー監督の銀河鉄道の夜のVHSを擦り切れるくらい見ていた俺の中の5歳児がもっと見せろと言ってくる作品と言うのが個人的に一番すっきりする…
幼鳩が銀河鉄道の夜(猫)を見たとき、わからないながらもずっと眺めていたのを覚えている。
録画することもなかったし、何度も何度も見たわけではまったくなかったのに、ずっと心のどこかに引っ掛かっていて、ほんのたまあにあの映画の雰囲気を思い出すことがあった。
あの時の幼かった鳩が、あの映画を理解していたかと問われると決してそんなことはなかったけれど、大人になって自力で映画を見つけ出し再見するほどには、あの映画はずっと鳩の記憶の底でうたた寝していた。
"何かわからないながらも強烈に惹きつけられる"というこの鑑賞体験を、今作も子供に与えているのかもしれないと考えると、それは好ましいことだなと思う。
"よくわからない"けれど、どこか感性だけで楽しむ、ということを体験し、肯定できる、ということは、いろんな創作物を楽しむ幅が広がるということであり、得難い経験だろう。
それを与えられる作品は、やっぱり素晴らしい。