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【書籍案内】主演



書籍詳細

文学フリマ東京37新刊。
初刷 2023/11/21 / 文庫判(A6) / 本文88ページ / ¥800


あらすじ

「主演 / 湊乃はと」あらすじ

まずは気取ったあらすじがこちら。
旧字体が読みにくいと思われるため、新字体でも以下書き起こします。

己を人生の主演ではないと信じる男が、不満のない生活から見る主演の世界。
凌雲閣を見ながら、男はその友人のことを考える。
変化していく生活の中で、兄のことを考える。
人生の転機を目の前にして、娘のことを考える。
男の周りにはいつでも、その人生の、その世界の、「主演」となりうるような人間たちがいた。
男は己の生活に不満はない。
恵まれた生活の中に感じる不足感は、己が主演たり得ない男であるからか?
関東大震災後、凌雲閣の爆破解体から始まる、主役ではない男の生活について。
男はただぼんやりと、主役と呼ばれるものになりたい。


冒頭

どこもかしこも瓦礫の山になった土地で、十二階を爆破させてさらに瓦礫の山を増やすという噂を聞いたので、どうせなすべきこともないと相澤はのこのこ浅草へ出かけていった。何事を考えることなく十二階を目指して歩いていると、噂を聞きつけた似たような野次馬が十二階の麓に集っており、それを制止するものと押し合いへし合いする人だかりとが混在している。その人熱は、この頃の東京中の人間の大混乱を思い起こさせ、それが相澤には甚だ嫌であった。
 あの大破壊からひと月近く経ち、その間に否応なく相澤はその変わり果てた東京市の街並みを見た。そこに住んでいた人間たちを見た。その生活を見た。まだ火の烟るような焼け跡での炊き出しから、夥しい数の行方不明者の張り紙やら呼びかけから、現在では商業の回復をも見ている。相澤も家業の問屋をそろそろどうしようかという段階であったが、それを考えるだけの気分の晴れ間も持てない。十二階の破壊を見物しに来たのは、その鬱屈した気分への気晴らしであった。あの大破壊のあとで、相澤にはこれ以上の娯楽も、不幸もないものだと思われてならなかったのである。
 それだから、どうせなら一等地で見物してやろうという魂胆がないわけでもなかったが、数多の人の頭を後ろから見ていると、それよりもただ、不快さが勝った。しばらくは込み上げる不快感に耐えていたものの、一向に始まらない爆破に辛抱しきれず、人混みを押し分けて相澤は黒山から離れる。
 何時にそれが破壊されるかを知る由もなかったから(相澤には人にそれを尋ねる気分も、また雑踏の中からその会話を拾い上げる気力もなかった)、十二階を瞳に固定しながら、少しずつ距離をとって行く。無惨に傾き、尖端が頽れたからといって、ここまで更地になってしまえばどこからでもあの高い塔を眺ることは容易だった。しばらく歩いたところで、このひと月雨風に晒されていたであろう瓦礫の山に腰掛ける。道ゆく人々は皆、どこかの瓦礫の片付けの埃を身に纏っていて、塵を拭いきれずにぼやけているようだと相澤には思えてならない。手が煙草の所在を探り、その不足の確認を、相澤はこのひと月でもう幾度も行っていた。


著者雑感

関東大震災から今年でちょうど100年ですね。
鳩のろまんはずっと100年ちょっと前にあります。明治後期〜大正初期がもっとも好きなところでありますが、その時代の東京市に象徴的な建物といえば「凌雲閣」、通称「浅草十二階」でしょう。
その十二階は、関東大震災で終焉を迎えますが、その最後の爆破解体の映像が残っているようで、これが大変に胸を打ちました。
ということで何の説明もないですが、そこから話が始まっています。

相澤という男が、身の回りの「主演」たちをぼんやり眺めて羨んだり妬んだりする、それだけの話でありますが、1923年から始めてしまった上に、なんでか作中で15年近く時代を下ったものですからもう大変。
鳩はその頃の時代には不案内でございます。
そしていつも思うのですが、庶民の生活は記録に残らないのですよね。
関東大震災の被害状況は記録されても、そこからの復興はただの生活でありますから、詳しいことがほとんど残っていない(調べきれていないだけかも)。
どうにかこうにか色々調べては書きましたが、あやしいところもあるかもしれません。

(以下は読了後に読んだ方がいいかも)
草壁も兄も澄子も、本人自身はどう思っているかなんて分からないし、また相澤と違う立場の人間からの見え方だって分からない。
相澤もそのこと自体には気が付いているかもしれないけれども、まあ、そういうものですよね。


書影

主演 / 湊乃はと


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