”もの”のある豊かさ
子供の頃、高級オーディオがあって、高級車があるような、いわゆるお金持ちの家が羨ましかった。家の中にたくさんの”もの”があることは豊かさの象徴だった。それから、 数十年が過ぎ、ものを買わなくなったと言われて久しい。そこで・・・
なぜ、人は”もの”を買うのだろうか?ということを考えてみたい。
”もの”には機能性がある。100年前と比較して考えると、生活環境は大きく変わった。竈はシステムキッチン、お釜は炊飯器、冷蔵庫、掃除機、洗濯機、日々の生活は圧倒的に便利になった。なるほど、”もの”は暮らしを便利に、そして快適にするのかもしれない。それが、”もの”の役割でもある。
でも・・・、”もの”の役割は、本当に便利さを得る為なのだろうか? そうすると、ファッションっていらなくない?インテリアってなんの意味がある?という疑問が沸く。
洋服は、夏は涼しく、冬は暖かければ、十分に機能を果たしているのに、なぜデザイン性を求めるのだろう。まして家に飾る絵はもう、機能すらなく意味がわからない。
私たちは、”もの”を機能性だけでは買わない。この洋服が自分らしさを演出するから、可愛く、かっこよく見えるから、時にはその洋服を着ることが、自分に勇気を与えてくれるから。リビングにある絵は仕事から帰って疲れた自分に癒しを与えてくれるから、または、前向きな気持ちを与えてくれるかという理由がある。人が”もの”を買うとは、つまり自分にとっての幸福感を得たいという欲望から”もの”を買う。
今は、インターネット全盛期。IT分野は急速に進歩した。実店舗に行かなくとも買い物ができる。本を買わなくとも情報検索ができる。手紙を書かなくとも電子メールで送れる。便利な世の中になったと人々は言う。ちょっと前までは、”もの”が時代に中枢だったが、今やITが時代の中枢に変わり、現代の人々は、ITを通じ、便利さを享受する世の中になった。価値基準は時代で決まる。現代では、多くの人々はITサービスを通じ、幸福感を得ようとしている。”もの”にせよ、”IT"にせよ、人間が幸福感を得たいと言う欲望は変わらない。きっと、数千年前から、その時代の中枢的な価値を通じて、幸福感を得ようとしていることに変わりはないのかもしれない。
私は、2020年に”もの”を売る、小売事業を起業した。理由は、色々あるが、その中に一つに、”もの”の価値の再定義がある。多くの量販店は、”もの”=商品の機能を販売していると感じる。そうなると、IT時代にはついていけない。これからの”もの”売りは、その機能でなく、”もの”を通じて、幸福感を得てもらうことに重きを置くことに移行しなければ、大部分をITが代替えしてしまう。”もの”の価値を再定義して、人々に”もの”を買う、使う楽しさを通じて、幸福感を感じてもらえる一歩進んだ仕事が必要と感じている。
これからはIT、デジタル時代になる。実物としての”もの”は確実に減少していく。例えば、今では、楽器を買わなくとも弾けなくともデジタルで作曲ができる。ピアノも、ギターの音色も全てデジタルが代替えできる。膨大な時間を練習に費やす必要もなく、デジタルの方が、合理的かもしれない。ただ、楽器を奏でる喜びや、生演奏に心躍る幸福感は薄れていく。もちろん、時代は進歩する。時代を逆光させ、昔に戻したいとは微塵も考えていない。ただ、”もの”ビジネスが廃退することで、幸福感を得るための選択肢が減ってしまうことを危惧している。
今、自宅に娘が4歳の誕生日に撮った家族写真が写真たてに収まっている。デジタルで写真を見る時代に、写真たては古臭く、機能的には時代遅れだ。しかし、毎日ふと、見る4歳の娘と妻の笑顔を見る度に、いつも勇気づけられる。時代遅れの写真たてが与えてくれる幸福感は私にとっては本当に大きい。”もの”を買うとき、この”もの”が自分にどんな幸福感を与えてくれるかを想像しながら楽しめる、そんな”もの”ビジネスが増えるよう努力していきたい。