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【物語】横浜夜喫茶

登場人物:3人
 涼香(すずか) 20代女性・会社員
 深雪(みゆき) 20代女性・夜だけ開いている喫茶店の店主
 彩乃(あやの) 20代女性・大学生

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2020年2月10日

涼香:こんばんは。

深雪:いらっしゃい。

彩乃:あ、涼香さんこんばんはー。

涼香:深雪さん……いつものください。

深雪:ハニーカフェオレね。

彩乃:涼香さんそれ好きですよねぇー。ほぼ毎日飲んでて飽きないんですか?

涼香:限界社会人女性になるとね、これくらい甘いの飲んでないとやってらんないのよ。
華の女子大生にはわかんないでしょーけど。

深雪:会社で働くって大変だものね。気持ち、わかるわ。

 深雪はカフェオレにドロリとしたアルゼンチン産のハチミツを流し込みながら答える。

彩乃:はぁ……嫌だなぁ……
そんな2人を見てると、大人になりたくないなぁ。

涼香:バカねぇ。誰も大人になりたくなってるわけじゃないのよ。仕方なくなってるの。

深雪:あたしは早々と諦めて、自営業になっちゃったけどね。
……はい。ハニーカフェオレ。

 カウンターから涼香の前に、熱々のハニーカフェオレを出す。

涼香:ありがとうございます。

 雪のような白いティーカップに口をつけて、ハニーカフェオレをのどに押し込む。

涼香:ん……甘くておいしい。
これを飲むと、1日が終わったって感じがする。

彩乃:なんか1日ってほんとあっと言う間ですよねー
気が付くと夜になってるんですから。

深雪:年取るともっと早く感じるわよ。

涼香:そうそう。どうでもいい仕事に忙殺されて、気が付くと夜になってる。

深雪:そうしてなんにもできないまま、1日が過ぎていく。
残酷よね。世界って。

涼香:はぁ……あたしも彩乃ちゃんみたいな大学生に戻りたいなぁ……

彩乃:えへへ。大学生は楽でいいですよぉー。
こうして夕方から喫茶店に入り浸ってグダグダできちゃうし。

涼香:ほんと……お嬢様大学生は羨ましいわねぇ。

彩乃:お嬢様なんかじゃないですよぉー
必死にバイトして、日銭を稼いでるんです。

涼香:普通の大学生はこんなシャレた喫茶店に通いつめないで、隣の建物のマックとかでだべってると思うわよ。
ねぇ?深雪さん?

深雪:まぁ……たしかに彩乃さんみたいな若い方は、ウチの店にはあまり来ないわねぇ。
値段設定も高めにしてるし……。

彩乃:それがいいんですよぉ。静かですし。コーヒーだって、確かにチェーン店よりは高いですけど……がんばれば出せる金額ですから。

深雪:……お金の遣い方は人それぞれですからねぇ……
それに、私は常連のお客さんが来てくれるだけで、嬉しいですよ。

彩乃:深雪さんやさしい。これからもずっときますよぉー。

 テレビでは夜のニュースが流れている。

深雪:……もうニュースはコレばっかり。

涼香:新聞もこのはなしバッカリ。中国じゃすごい流行してるみたい。

彩乃:大丈夫なんですかね……この辺観光客多いじゃないですか。

涼香:大丈夫じゃないんじゃない?すぐそこに泊まってる豪華客船の中とか、悲惨みたいじゃない。

深雪:まさかこんなことに巻き込まれるなんて。思ってもみなかったでしょうね。かわいそうに……。

彩乃:ウチの大学も、何人か中国に留学してるんですけど……どうすんだろ。ちゃんと帰ってこれるのかな。

涼香:ま、インフルエンザみたいなモノでしょ?流行はしても、すぐになんとかなるわよ。

深雪:だといいんだけどね……

2月26日

彩乃:あ……涼香さん。
ピンク色のマスク、かわいいですね。

涼香:ありがと。これでバッチリメイクしなくても上手くごまかせて助かってるわ。
2人はしてないの?

彩乃:あたしは……
最近は家に引きこもってるから。別にいいかなぁーって。

深雪:私は外を歩くときはしてるわ。でもここでマスクをすると、コーヒーの香りを感じにくくなるでしょ?だからしないの。

彩乃:その理由カッコイイ。あたしもこれからそう言お。

涼香:呑気ねぇ大学生さんは。

深雪:涼香さんはいつもしてるの?

涼香:会社でほぼほぼ強制よ。街を歩いても、みんなマスクしてる。毎年インフルエンザが流行るときはそうでもないのに。

彩乃:たしかに……駅の近くのドラックストア、マスク全然なかった。

深雪:品薄になってるみたいね。

彩乃:なんか買い占めて転売してる人もいるみたいですよ。

深雪:無理もないわ。演劇とか、コンサートとか、そういうのが軒並みウィルスのせいで延期になったり中止になったりしてる。みんなパニック状態よ。

涼香:ま、おかげで変な飲み会とか、そういうのもなくなってるから?そういうのがキライなあたしとしては助かるわ。

深雪:お仕事の方は大丈夫なの?

涼香:今の所大きなトラブルはないわ。ただ、プライベートで遊びに行くとか、そういうのが少なくなってるってだけ。

深雪:そう……

涼香:おかげでここに直行できるからいいわよ。毎日すぐに、ここで癒されるから。

彩乃:はぁ……あたしは楽しみにしてた演劇、延期になっちゃってすごくショックですよ。楽しみにしてたのに。

深雪:こればかりはしょうがないわ。きっと近いうちに観れることになるわよ。

涼香:そうよ。それまでそこの山下公園で海でも眺めてたら?スマホばっかり見てないで、たまには潮風にあたるのも悪くないわよ?

彩乃:スマホばっかり見てる涼香さんに言われたくないですぅ。

深雪:でも、あと1か月ちょっとで花見の季節よ?せめてお花見にはいきたいわ。

 海から吹く風はいつもと同じで冷たい。目の前の海が見える公園は、シンと静まり返っていた。

3月9日

涼香:「ニューヨークで非常事態宣言」「世界の株価が暴落」……暗いニュースばっかりね。

 カプチーノで体を温めながら、涼香は暗い声でつぶやく。

深雪:……どんどんと悪い方向に進んでいってる気がするわねぇ。

彩乃:中国で流行してたのに、アメリカで非常事態宣言がでるなんて。なんか不思議。

涼香:あたしたちが思ってるよりも、世界はつながってんのよ。

彩乃:じゃあこの辺もちょっと前まで観光客がたくさんいたけど、大丈夫かな……

深雪:日本人はマジメだから。みんなすぐにマスクしたでしょ?だからそこまで爆発的には広がってないずよ。

涼香:色々な国が、日本からの訪問客に入国制限とかかけてるけどね。

深雪:みんな必死なのよ。これ以上状況が悪化しないためにね。無理もないわ。

彩乃:深雪さんっていっつも冷静ですよね。怖くないんですか?

深雪:怖くないって言ったらウソになるわ。でも、騒いでもどうしようもないじゃない?

彩乃:まぁ……そうですけど……

涼香:彩乃ちゃん……
深雪さんは横浜で、しかも夕方からしか営業しない喫茶店を営んでるのよ?それくらいの度胸と気概がないと、そんなことなんてできないのよ。

深雪:一言余計よ。そんなのなくてもなんとかなるわ。

 何気ない「いつもの」会話は今日も続く。

彩乃:それより……涼香さん。なんか今日イイニオイしますね。フレグランスですか?

涼香:えぇ。ホワイトティーの香りよ。中々いいでしょ?

彩乃:どうしたんですか、急に?リモートワークで部屋から出ないのに、フレグランスなんて……

涼香:だからよ。気分転換にちょうどいいの。ほら、いい女って感じしない?

彩乃:ホントのイイ女は、自分から「イイ女」なんていわないと思うなぁ……。
深雪さんみたいに。

深雪:ちょっと……巻き込まないでよ。

彩乃:ホントのことなんで。

深雪:でも涼香さんの気持ちは分かるわ。ずっと同じ部屋で、同じ景色しか見ていないんだもの。どうにかなっちゃうとき、あるわよね。

涼香:深雪さんは1人でカフェ経営してますからねぇ。

彩乃:深雪さんも気分転換に香水とかするんですか?

深雪:したいんだけどねぇ……。香りが大事な仕事だからできないのよ。せいぜいハンドクリームをつけるくらいかしらね。

涼香:無香料ですか?

深雪:基本的にはね。でも今日はちょっと気分を変えて、ラベンダーにしてみたの。落ち着いていいわよ。

彩乃:あぁー。なんかわかるっていうか、似合うかも。

涼香:似合うって?

彩乃:なんか……こう……「大人の女性」って感じしません?ラベンダーの香りする女の人って。

涼香:あぁ……なんかわかるかも。大人の魅力感じるわ。

深雪:なにバカなこと言ってるの。誰だってラベンダーのハンドクリームくらいつけるわよ。普通にそこら辺に売ってるんだもの。

涼香:でも買うかって言われたら……

彩乃:買わないですかねぇ……あたしは。

涼香:彩乃はハンドクリームって香り付いてる?

彩乃:ついてますよ。今はユズとオレンジの香りです。

深雪:彩乃ちゃんらしい……。フレッシュな香りね。

彩乃:えへへ。なんか深雪さんに褒められると嬉しい。

 夜の横浜が少しずつ静かになっている。それでも、彼女たちは変わらずに、明るく、夜の海辺をそっと照らしている。

3月25日

彩乃:オリンピック……延期になっちゃいましたね。

涼香:あんなに延期しないでやるって言ってたのに……手のひら返しとはこのことね。

彩乃:あたしボランティア行く予定だったのに……

涼香:え、そうなの?

深雪:彩乃さん……スポーツとかに興味あるんですか?

彩乃:ないですよ。シューカツのネタになるかなって。

涼香:……そんなことだろうと思ったわ。

彩乃:えーひどーい。別にいいじゃないですか。どんな理由があれ、ちゃんとやれば。

涼香:ちゃんとやればね。

彩乃:もぉー。あたしがサボると思ってるんですね?
まぁ……どっちみち延期になっちゃいましたけど。

涼香:それより……深雪さん……どうなるんですか、ここ。

彩乃:あ、そうそう!政府の緊急事態宣言って、飲食店とかも休業要請するって……

深雪:しないわよ。そんなの。

彩乃:即答。

涼香:でもよかったぁ……そう言ってくれて。

彩乃:でも大丈夫なんですか?

深雪:何が?

彩乃:ほら……最近いるじゃないですか。マスクしてない人にマスクしろって言い続ける「マスク警察」とか。

涼香:たしかに。休業要請してるのにそれに従わなかったら、休業しろーって言ってくる変な奴も出てきますよ。絶対。

深雪:そん時はそんときよ。

彩乃:怖くないんですか?

 少し間をおいて……

深雪:あたしは……
深雪:あたしは仕事に疲れた人たちに、少しでもその心とか、体を休めて欲しいなって思って、この店を出したの。だから、夜遅くまでやってるでしょ?
こんな状況でも、そういう癒しを求めてる人は必ずいるわ。そういう人がいる限り、この店は開け続ける。そう決めてるの。

彩乃:深雪さん……カッコイイ……

涼香:流石です……あたしも毎日ここに来ますから!

彩乃:たしかに、こんなにウィルスが流行っても、仕事とか会社はなくならないですからね。

深雪:えぇ。この世界がある限り、仕事で傷つく人はたくさんいるわ。
深雪:あたしはそんな人に、少しでも現実逃避してもらいたいから……。
どんなことがあっても、ここは閉めないし。ここに立ち続けるわ。

3月31日

彩乃:涼香さん……今日はなんだかいつもより元気そうですね。

涼香:えぇ!
昨日から完全テレワークで、もうしばらく会社に行かなくて済んでるの。おかげで助かってるわ。

深雪:やっぱり楽なの?

涼香:そりゃそうよ。朝早起きしなくていいし、メイクもそこまでがんばらなくていい。
誰にも邪魔されずに仕事ができるんですもの。

彩乃:へー。なんか楽そうでいいですねぇ。

涼香:そういうわけでもないわ。1日中誰とも話さずにパソコンとにらめっこよ?
肩は凝るし、やっぱり誰かと話したい。だからここに来たのよ。

深雪:そう……。いつもありがとうね。

涼香:こちらこそ……。こんな時でも店を開けてくれて、ありがとうございます。

深雪:彩乃さんは……大学とかどうなるの?4月から新学期でしょ?

彩乃:それがわかんないの。大学で協議してるから新学期が始まるのが遅れるって連絡が大学から。

涼香:いいなぁー。春休み延長じゃない。

彩乃:ま、大学始まってても生活はあんま変わんないけどね。どうせ夜にはここにいるし。

深雪:でも……なんだかどんどんひどくなってるわねぇ。

涼香:えぇ。昔よくテレビとかで見てた人も、亡くなっちゃっいましたね……。

深雪:ホント……。人の命って、思っていたよりも儚いんだなって……最近特に思うわ。

涼香:なんだか……長引きそうですね。

彩乃:いつまで続くんでしょうね……。
なんか……これが永遠に続きそうで、ちょっと怖いです。

 すっかりと静かになってしまった夜の横浜に、かつての賑わいは戻るのか?
公園の先に広がる暗闇がどこまでも続いているように、未来もこうなってしまうのかもしれない……。

4月7日 

涼香:あぁぁぁぁ……

彩乃:えぇ……急にそんなモンスターみたいな声出さなくても……

涼香:だってぇ……もう体がガチガチに固まってるし……
1日中誰ともおしゃべりしないから……なんか変な気分になるのよ。

深雪:無理もないわ。元々1人でいるのが好きな人ならともかく……急に1日中部屋にこもって、黙々と作業してろって言われてもね。

涼香:ほんとですよ……。前まではうっとおしいなぁって思ってた上司とかの無駄話も、意外と重要なんですね。

彩乃:そこまでストレスたまるんだ……

涼香:彩乃ちゃんはそうでもない感じ?

彩乃:んー。あたしはホラ……1人で本読むのとか好きだから。そんなに苦にならないかもね。

深雪:ここに来て、いつも本を読んでるものね。

彩乃:なんか落ち着くの。すぐそこの公園で海風にあたりながら読むのもいいんだけど……。まだちょっと寒いかな。

深雪:ステキな趣味じゃない。最近は観光客も少ないから、静かでしょう?

彩乃:そりゃあもう。中華街なんてシーンとしてて、不気味なくらいですよ。

涼香:兵どもが夢の跡って?

彩乃:ホントにそんな感じ。閑散としてて、ちょっと前までの光景がそれこそ夢だったのかなって思っちゃう。

涼香:へー。

深雪:まぁ……。明日から緊急事態宣言だからね。

涼香:深雪さん……ホントにお店閉めないんですか?

深雪:えぇ。閉めないわ。誰かが来るかもしれないから。

彩乃:確かに……リモートワークとか言われてても、なんだかんだでお客さん来ますよね。今だって……

深雪:大分減ったけどね。来てくれるだけで嬉しいわ。

涼香:ここ駅から近いしねー。

彩乃:でも……大丈夫なんですか?経営的に。

深雪:厳しいのは確かよ。でも、少し前からコーヒー豆だけ売り始めたら、意外と好評ってこともあって、なんとかなってるわ。

涼香:買ってく人、いるんですか?

深雪:涼香さんみたいに、リモートワークになって部屋から出ない人とかは、せめてコーヒーの味だけでもお店の味を楽しみたいって、言ってくれる人もいるのよ。

彩乃:このお店……愛されてるんですね。色んな人に。

涼香:深雪さん……ステキな人だからね。ファンが多いのよ。

深雪:そんなことないわよ。あたしは雑な人間よ。ただ、このカフェのロケーションがいいだけよ。
すぐそこのチェーンのコーヒー店は、こんなに遅くまでやってないし。

涼香:深雪さんは謙虚ですね。

彩乃:そこがまたステキなんですけどね。

4月8日 緊急事態宣言・初日

涼香:すごいわね……。なんか……

彩乃:怖いくらいに静か。いつもと違うけど……違くないっていうか……

涼香:お店はどうなんですか?

深雪:みんなコーヒー豆を買いに来てくれるわ。
ここで飲んでいく人はいない。

彩乃:まぁ……そうですよねぇ……

涼香:なんか……世界ってこんなにスグに変わっちゃうのね。

深雪:まぁ……静かな夜の横浜。悪くないわ。

彩乃:なんか……ちょっと特別な感じがする。

涼香:特別よ。この景色、あたし達が独り占めしてるんだもの。

深雪:誰もいない町に、車1つ通らない大通り。真っ暗な公演と海。
キレイね。

涼香:深雪さん……今日はラテを頂けますか?

彩乃:今日はハニーカフェオレじゃないんですか?

涼香:あたしね……何か月か前に、チーク買ったの。でも……

深雪:そのまま外に出なくなって、使う機会もなくなったのね。

彩乃:どんなチークなんですか?

涼香:コレ

 涼香はバックから、1つのチークを取り出す。

彩乃:へぇ……カワイイ。これどこで買ったんですか?

涼香:それが思い出せないのよね……。どっかのららぽーとのコスメショップだったと思うの。

彩乃:赤っぽいベージュ。涼香さんに似合うと思います。

深雪:でも……それとラテが何か関係あるの?

涼香:このチーク「夜風になびくローズラテ」っていうんです。

深雪:真夜中に咲いてる薔薇をイメージしてるのかしら。

彩乃:ステキ!

涼香:でしょ?だから買っちゃったの。それを思い出したら、なんか……ね。

深雪:わかったわ。
じゃあ、ティーラテにしましょ?

彩乃:ティーラテ?

涼香:コーヒーの代わりに紅茶を入れるのよ。だからカフェじゃなくてティーラテになるの。

深雪:ちょうどローズティーがあるの。

彩乃:そんなのあるんですか?

深雪:あるわよ。ハーブティーなんだけどね。

涼香:じゃあ……お願いします。

彩乃:あたしも。飲んでみたいです。

深雪:じゃ……3人で飲みましょ。今日はきっと……お客さんは2人だけだから……

すぐそこには、光を失った横浜マリンタワーがたたずんでいる。
夜風になびくローズラテ。
このチークを使う時は、果たしてくるのだろうか。

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