高校の「倫理」でフランシス・ベーコンの「四つのイドラ」(「種族のイドラ」、「洞窟のイドラ」、「市場のイドラ」、「劇場のイドラ」)というのを習ったが、その説明がかなり出鱈目のようだ。そこでは「市場のイドラ」と「劇場のイドラ」は次のように説明されている。
市場のイドラ:
劇場のイドラ:
他の参考書をいくつか見てみたがどれも大体同じ、ネットで検索しても同様の説明が見つかる。
ところがベーコンの『ノヴム・オルガヌム』では「市場のイドラ」は、不適切な言葉、特に存在しないものを指す言葉(例えば「運命」とか)や曖昧な言葉(例えば「重い」とか「濃厚な」とか)を使用して議論することに由来する誤りと書いてある。また「劇場のイドラ」については従来の哲学(学問)の誤ったやり方(通俗的な概念や乏しい経験や迷信を元にしていい加減な物語を作り上げる)に由来する誤りと書いてある。石井栄一『ベーコン』(清水書院、1977年)に当たってみたが、やはりそのように説明されており、特に他人との交際とか噂とか伝統とか権威について書いてあるわけではない。ちなみに種族と洞窟のイドラは人間一般についての話だけど、市場と劇場は学者を対象にした話のようだ。
高校倫理のような説明はいつどこから生まれて定着したものなのだろうか。
ChatGPTのハルシネーションみたいだなあと思って、試しにChatGPT(GPT4)に聞いたらずっと正確な答えが出てきた。英語版のWikipediaの説明はほぼこんな感じだったので、多分、英語で出力した説明を翻訳しているのではないかと思う。
以下、ChatGPTに「哲学者フランシス・ベーコンの唱えた「イドラ」についての説を説明してください。」と質問して出力された答え。
追記
Facebookにこのことを書いたところ、ある人から大西祝の『西洋哲學史』(1905年)には劇場のイドラが次のように説明されていると教えていただいた。
ひょっとすると高校倫理的な劇場のイドラの説明はこのあたりに由来するのかもしれない。