久木田水生

久木田水生

最近の記事

レビュー:アンナ・レンブケ『ドーパミン中毒』(新潮社、恩蔵絢子訳、2022年)

タイトル、表紙、帯の惹句のセンスから想像されるよりもずっと良い本だった。多くの依存症患者を診察してきた著者が、具体的な事例と科学の知見、そして著者の経験と人間観・社会観に基づいて、依存を生み出す生理的、心理的、社会的要因と、依存を断つ方法について解説する。 現代の文明は私たちを豊かにし、そして私たちの周りを心地よいもの、刺激的なもので溢れさせた。一方で私たちの多くは不安やストレスや孤独や欲求不満を抱えている。そんな中で私たちはわずかな苦痛も厭い、すぐに得られる快楽を求めるよ

    • 高校の「倫理」で教えられるフランシス・ベーコンの「四つのイドラ」がひどい出鱈目だった

      高校の「倫理」でフランシス・ベーコンの「四つのイドラ」(「種族のイドラ」、「洞窟のイドラ」、「市場のイドラ」、「劇場のイドラ」)というのを習ったが、その説明がかなり出鱈目のようだ。そこでは「市場のイドラ」と「劇場のイドラ」は次のように説明されている。 市場のイドラ: 劇場のイドラ: 他の参考書をいくつか見てみたがどれも大体同じ、ネットで検索しても同様の説明が見つかる。 ところがベーコンの『ノヴム・オルガヌム』では「市場のイドラ」は、不適切な言葉、特に存在しないものを指

      • レビュー:長谷敏司『プロトコル・オブ・ヒューマニティ』

        コンテンポラリーダンサーの護堂恒明は交通事故で大けがを負い、右足を失う。一時は絶望した恒明だが、同じダンスカンパニーに所属し、エンジニアでもある谷口から、AIで制御される最先端の義足を勧められて、ダンサーとしての復帰を目指す。谷口はロボットと人間が共演する新しいダンスの舞台を作りたいと考えており、恒明と共に新しいカンパニーを立ち上げる。谷口は単に人間の考えた振り付けをロボットが演じるのではなく、AIが生成する振り付けをロボットと人間が躍るという新しい形のダンスを作り出すことを

        • ヘルシンキ出張中にPCR検査で陽性になって、領事レターで帰国した話

          ヘルシンキに出張中、PCR検査で陽性になってホテルで隔離生活を送り、その後も陰性にならず大使館から「この人は陰性証明書を取るのが困難です」という領事レターというものをもらってようやく飛行機に乗ることができました。なかなか珍しい体験だったので以下にメモを記します。 帰国までのプロセス 当初は8月20日にヘルシンキを発つ飛行機に乗って帰る予定で、18日にPCR検査を受けました。その結果が陽性で18日の午後からホテルの部屋で隔離生活に入りました。症状は全くありませんでした。実は

        • レビュー:アンナ・レンブケ『ドーパミン中毒』(新潮社、恩蔵絢子訳、2022年)

        • 高校の「倫理」で教えられるフランシス・ベーコンの「四つのイドラ」がひどい出鱈目だった

        • レビュー:長谷敏司『プロトコル・オブ・ヒューマニティ』

        • ヘルシンキ出張中にPCR検査で陽性になって、領事レターで帰国した話

          倫理学の専門家は他の分野の専門家と比べてより道徳的か

          有名だけど読んだことがなかったEric SchwitzgebelとJoshua Rustの2013年の論文、``The moral behavior of ethics professors: Relationships among self-reported behavior, expressed normative attitude, and directly observed behavior''(https://www.tandfonline.com/doi/full

          倫理学の専門家は他の分野の専門家と比べてより道徳的か

          レビュー:ポール・ブルーム『反共感論』(P. Bloom, Against Empathy)

          【以下は原書を読んだときにAmazonに書いたレビューの転載です。邦訳は未読です。】 多くの人は「良い人間であるためには他者への共感を持つことが重要だ」と言う。しかし本書の著者ポール・ブルームは、共感はむしろ有害であると強く断言する。一見、驚くべき主張だが、読み進めると最初の印象ほど突飛なことを言っている訳ではないことが分かる。この主張が突飛に思える原因の一つは、「共感」という語の多義性による。この語は「他者の感じていることを感じること」、「他者の気持ちを理解すること」、「

          レビュー:ポール・ブルーム『反共感論』(P. Bloom, Against Empathy)

          ミルクボーイの漫才風に「ホテル・カリフォルニア」の歌詞をインターネットにこじつける

          「おかんが、ザ・イーグルスの『ホテル・カリフォルニア』の歌詞が何のことか分からへんいうてんのやけどな」 「ほーん。ほな、どんな歌詞か聞かして」 「『私たちは1969年以来、その精神を持っていない』ていう歌詞があるらしい」 「インターネットのことやないかい。アメリカのARPA(高等研究計画局)のネットワークARPANETをバックボーンとしてインターネットが誕生したのが1969年のことで、それ以来、我々はインターネットに毒されて人間らしいこころを失ってきたいうことやろ」

          ミルクボーイの漫才風に「ホテル・カリフォルニア」の歌詞をインターネットにこじつける

          ネット、スマホ、ゲームの悪影響について書かれた本をいくつか読んだので感想と内容のざっくりした紹介

          最近、ネット、スマホ、ゲームの(特に子供・青少年に対する)悪影響について書かれた本をいくつか読んだのでまとめて紹介。メアリー・エイケンの『サイバーエフェクト』が個人的には特におすすめ。全体的には、スマホやゲームの悪影響については、科学的にはまだわかっていないことが多い、かといって放置しておいていいとは思えないような影響がはっきり見えている部分もある、というところ。あとアメリカとかに比べると日本はまだましなのかなと思った。何にせよICTのリスクについて子供にちゃんと教えることは

          ネット、スマホ、ゲームの悪影響について書かれた本をいくつか読んだので感想と内容のざっくりした紹介

          書評:スコット・ジェイムズ『進化倫理学入門』

          【以下は、アマゾンのカスタマーレビューに書いたものの転載です。】 「道徳性」はここ半世紀ほどの間、心理学、認知科学、神経生理学、進化生物学、動物行動学などの自然科学の分野で盛んに研究されているテーマの一つであり、そこでは次々に新しい興味深い成果が得られている。そしてそれらの研究成果は単に学問的興味以上の大きな重要性を持っている。というのも文化や宗教によって著しく異なる道徳的判断が現在、世界中で様々な軋轢と争いを生じさせているからである。そのため一部の科学者は宗教を強く批判し

          書評:スコット・ジェイムズ『進化倫理学入門』

          レビュー:ジェームズ・ブラッドワース、『アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した――潜入・最低賃金労働の現場』(濱野大道訳、光文社、2019年)

          【以下は、アマゾンのカスタマーレビューに書いたものの転載です。】 2018年、アマゾンの創業者ジェフ・ベゾスは、資産額が1000億ドルを突破し、ビル・ゲイツを抜いて世界一の金持ちになった。アマゾンはいま世界で最も成功している企業だ。私たちの多くは日常的にアマゾンを頼っている。本を紹介するときには誰もがアマゾンの商品ページへのリンクを貼り、アマゾンのギフト券がしばしば謝金の代わりに使われる。 確かにアマゾンは便利だ。パソコンやスマートフォンで注文すれば、ありとあらゆる商品が

          レビュー:ジェームズ・ブラッドワース、『アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した――潜入・最低賃金労働の現場』(濱野大道訳、光文社、2019年)

          レビュー:キャシー・オニール、『あなたを支配し社会を破壊するAI・ビッグデータの罠』(久保尚子訳、インターシフト、2018年)

          以下は原著Weapons of Math DestructionをよんでAmazonのカスタマーレビューに書いたことの転載。翻訳版は未読です。 あるシステムの振る舞いについてのデータを分析し、それにフィットする数学的モデルを作り、それによってそのシステムの振る舞いを予測あるいは制御するということは、ニュートンが模範を示して以来確立されてきた近代科学の方法論的パラダイムである。しかし近代科学成立の初期においては、この方法は比較的単純な振る舞いを示すシステムにしか適用できなかっ

          レビュー:キャシー・オニール、『あなたを支配し社会を破壊するAI・ビッグデータの罠』(久保尚子訳、インターシフト、2018年)

          アジールと精神医療;舟木徹男「精神の病とその治癒の場をめぐる逆説――アジール/アサイラム論の観点から」を読んで

          松本卓也・武本一美編著『メンタルヘルスの理解のために――こころの健康への多面的アプローチ』(ミネルヴァ書房、2020年)所収の舟木徹男「精神の病とその治癒の場をめぐる逆説――アジール/アサイラム論の観点から」を拝読。以下に内容の紹介と感想などを。 ――――――― 「アジール(独 Asyl、仏 asile)」、「アサイラム(英 asylum)」はギリシャ語で「不可侵」を意味する語に由来しており、何らかの力によって守られた特別な空間、時間、地位のことである。例えば大使館のよう

          アジールと精神医療;舟木徹男「精神の病とその治癒の場をめぐる逆説――アジール/アサイラム論の観点から」を読んで

          「戦争は人間の本能」は科学的事実ではない

          以下はSYNODOSに掲載された伊藤隆太「「人間の心」をめぐる新たな安全保障――進化政治学の視点から」という記事に対するコメントです。 この記事の著者は「戦争は人間の本能に根差したもの」というのをあたかも「科学的」事実であるかのように前提しているけど、それはまだ科学の世界では決着がついていません。 反論となりうる一つの研究として、中尾央と松本直子による、日本の縄文時代の暴力死についての研究が挙げられます。 中尾、松本「日本先史時代における暴力と戦争」(PDF) 日本の

          「戦争は人間の本能」は科学的事実ではない