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楽器の「在り方」と「その妙」1

 弦楽器(特に擦弦楽器)の構造的音像的指向を顧慮するに、奏者からすれば右手側=客席にては左手側にそのエッセンスが集中するは自明である。管弦楽における所謂ストコフスキー・シフトは、1920年代中盤を前後に確立を看る(しかしその嚆矢がストコフスキーである確証は未だ発見されてはいない)が、まさに「弦楽器群」を王者とする管弦楽手法ゆえ、その嚆矢が誰であれ「自然と」生ましめたる編成であるは言うを俟たない。
 いずれ往時のブロードキャスティング及びディスク・メディアが要請の結果ではあり、つまり電気式かアクースティックかは措いて「モノラル」録音時代ゆえの「究極的」産物ではある。
 往時のコンサート・シーンにては、かのストコフスキーでさえ「対向配置」を採るは写真などの記録に明白ながら、アクースティックにおける巨大なホーン(音源採取装置)あるいは初期二極式真空管が実現せるコンデンサ付きマイクロフォンを使用する「モノラル」録音にあっては、音響学的指向性における弦五部の「採録」を優先する上で、下手側より第一Vn、第二Vn、Vla、そして指揮者の右横にVc加えて上手奥にCBを配置する「ストコフスキー・シフト」は、最もローコストでありかつテイク数を抑える「魅力的にして悪魔的手法」であった。

1916年のストコフスキーとフィラデルフィア管弦楽団(マーラー:交響曲第八番の米国初演時)

 斯くなる意味においては、ステレオ〜そして今日ハイレゾ・ストリーミングが実現をせる時代なればとて、俗にストコフスキー・シフトなる配置編成の旨みは、殊にアンサンブル精度の高いプロ管弦楽団にては最早「ゼロ」どころか「マイナス」であろう(実際、フィラデルフィア管は措いて、欧州における「ストコフ式」を表看板に掲げるヴィーン響、HR響なども、近頃は対向配置を採るケースが散見される)。
 寧ろ斯くスタイルは、アンサンブル精度に劣る一部アマチュアが、その精度をより高確度へと研ぎ澄ませるがための方便程度の意味より他には既に見出せまい。より敷衍するなら、アンサンブル精度を一層高める意味にても、音像指向を利用せるストコフスキー・シフトを採るは時に「陋習的悪弊」をさえ招くやもしれぬ。

 しかしながら、対向配置が絶対的なるそれでは決してないとは、敢えて付言すべきであろう。所謂「対向配置」というのは、ハイドンの後期つまりモーツアルトの晩年並びにベートーフェン少壮期に顕在化をし、やがてメンデルスゾーン=バルトルディ期に完成を看る。しかしながら──。
 メンデルスゾーンの「対向配置」は、第一&第二vnが今日のそれとは逆位相なる事実は、存外見落とされがちやもしれぬ。これは冒頭に言及する通り「擦弦楽器の音像指向」を極めたる帰結であるが、管弦楽表現の「可能性」が次第に増大増幅をするにつれ、今日「原理原則的」下手(指揮者の左側)に第一vnを配置する方向へと収斂をされ、19世紀中盤よりオーソドックスなる位置を勝ち得る。

 いずれ「アンサンブル」の「妙」は、アンプを用いるロックやポップス系などにても「表看板」である。
 左様さ、斯くなれば例えば「QUEEN」におけるブライアン・メイのマジックをも含め、ちょいと語ってみようか。

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