伊福部昭の戦後──災厄と破壊、祈りそしてレクイエム
はじめに
時は「東日本大震災」など誰であれ予想だにし得なかったであろう2000年代中盤。東京大学教授(当時)・伊福部達は日本放送協会(NHK)の依頼に聊か悩まされていた。しかし既に肚は決めてある。謂わば「隠し玉」とでも呼ぶべきであろう。
斯く「隠し玉」より三十篇ほどを編み出し、NHKとの会議を経て五つまで絞り込み、更にはお年寄りや幼児・児童らをある種の「治験対象」として得た調査結果に基づき、遂に「三十分の一」が決定を看るに到る。そう──。
「NHK」による「緊急地震速報」チャイム音である。
「隠し玉」とはつまり、達の叔父に当たる伊福部昭であり、そのベースは昭の戦後代表作の筆頭とも呼ぶべき「シンフォニア・タプカーラ」第三楽章である。
上記エピソードは、大震災発生直後より新聞やTVにて兎角話題とされまた取り上げられており、ご存知の諸兄姉もおそらくは決して少なくなかろう。達は叔父の傑作「シンフォニア・タプカーラ」第三楽章より様々な要素を抽出、結果、三楽章冒頭の和音構成群に手を加えた件のチャイム音を含むサンプルをフィルターに、叔父の手になる作品と改めて邂逅したのである。
達が叔父の「銘作」を霊感の「淵源」としたのには明確な理由がある。
「NHK=日本放送協会」は、その運営財源を受信料に求める「公共放送」であるが、事業予算案、あるいは経営委員選任などを巡り、国会における承認を必須として求められる。仮に予算が潤沢ではあれ、微細に亘り素案要綱を国会に上程しなければならない。つまるところは「原則論として無駄な予算、あるいは現場が自由に裁量し得る予備費」はなきに等しい。
達は聴覚障害保有者への音響伝達研究者であると同時に、FM音(周波数変調音)専門家として幾つかの条件を提示するが、斯くNHK側も先述事由が許に所謂ライツ──著作権や隣接権にて発生する使用料などの経費を抑えるべく「その原曲が作曲家の没後五〇年にわたる著作権や演奏権に抵触してはいけない」との内意を示す。刹那、達の脳裏を過ったのが叔父たる昭の名前とノートであった。「その息子たちに頼めば著作権の問題も解消する」と。
当初は「叔父と言えばゴジラ」との思いさえ胸中を掠めるも、それは余りにも人口に膾炙をされ過ぎており、特定の年代などを中心に恐怖心を煽りかねないと翻意、吟味の結果「シンフォニア・タプカーラ」初稿総譜を従兄弟より取り寄せたという。
達は高校時代以前たる学科としての「音楽」には苦手意識を抱いていたと述懐するが、結局のところ血は争えないのであろうか「音響関連」学術分野、及び技術の専門家として、依頼を受けたる時点で世界的にその名が知れ亘る存在であり、サンプル作成においても楽理的分析を施した上で検証、各サンプルを作成しており、採用されたサンプル決定案は第三楽章冒頭「一小節目」の和声的構成要素を複合、それを原キイであるホ調からハ調へと移行し、更に調整を加えアルペジオとしている。
その処理過程などを巡り、文藝春秋社のインターヴューに応じ達は、次のように答えている。
「楽理的な話になってしまいますが(中略)【G7(#9)】というもので(中略)これを【C7(#9)】に移調した」と。
この和音塊こそ最初のアルペジオであり、一方後続アルペジオは、第一小節構成要素の複合体たる【G7(#9)】の変態形=つまり「最初のアルペジオ」とは和声学上「第二転回形」の関係を為すものである(飽くまで和声学的知見よりのアナリーゼが結論であり、実際のチャイム音としては【C#7(#9)】として我々の耳へと届く。その心理面へと及ぼす効果たるや、ある種の「恐怖心」にも近似相似し得よう緊迫感をも孕む、まさにアラームとしての効果をエッジライン──紙一重的なる「乗るか反るか」に実現するという意味において、謂わば「理想的」なるそれと規定して強ち謬りとはしない)。
俗に──否、寧ろ今日においてさえ、一般には「第一小節冒頭の和音から緊急地震速報チャイムは生まれた」と巷間囃されてはいるものの、冒頭部の一撃のみであれば【E-♭9(#11)】であり、それを彼つまり達の言葉通りに解するなればキイは【C-♭9(#11)】と聊か印象も異なる結果を招くは自明である。やはり「冒頭和音」なる解釈ではなく「第一小節」構成和音塊(和声構成要素)を複合・解析し抽出したエッセンスと看做すのが妥当ではあるまいかと筆者は思量する。
とまれ甥たる達にまつわる挿話はこの辺りで切り上げ、主人公たる昭へとスポット・ライトを照てよう。
そう、彼「伊福部昭」も生誕百十年つまり今年がアニヴァーサリー・イヤーである。彼の衝撃的デビュー作たる「日本狂詩曲」など戦間・戦中期作品は、来年にも企図せる大型企画たる「1935──1945日本の管弦楽作品」へ譲るとして、甥たる達の挿話をも顧みつ彼の「戦後──災厄と破壊、祈りそしてレクイエム」と銘打ち、最早彼「昭」が代名詞的作品とも捉えて如くはない映画音楽「ゴジラ」かつうは甥・達のそれにて交々触れたる「シンフォニア・タプカーラ」(いずれもその一歩を踏みたるは戦後十年を経ぬ54年)を取り上げよう。
映画「ゴジラ」のための音楽(1954)
所謂「特撮映画」たるや、つい「子供向けプログラム」などと看取してしまう大人も少なからず存在しよう。しかしながら概ねその嚆矢、あるいは原点回帰的作品へと取り分け注意深く眼差しを注ぐなれば、如何に「大人へと向けた寓意的」説話であるかが手に取るように判るのではあるまいか。
例えば「特撮」の「代名詞的」存在とも形容すべき円谷プロダクションの表看板たる「ウルトラ・シリーズ」──その記念すべき第一作「ウルトラQ」(同プロ初のTV作品。当初企画上は「UNBALANCE」として進行)は大人向け寓話であり、次作が聊か子供向けなる色合いも濃厚であったのに比して、三作目たる「ウルトラセブン」では、原点回帰ゆえか(あるいは脚本、演出などスタッフの個性さえ反映してか)結果たるとて「大人の鑑賞」に堪え得る出来映えを誇るに到ると評価して過言とはすまい。
それこそ伊福部昭が音楽を担当することとなる54年封切り東宝作品「ゴジラ」は、本邦「怪獣映画」の嚆矢・元祖である。しかもそのメッセージ性たるや「疾く子供が理解をさえ」遥かに超え、核兵器の齎す災厄と危機を描くのみならず、最早「文明批評」が域へとメスを入れる問題作であり、その背景には同年三月に世間を震撼へと陥れる「第五福竜丸事件」の存在さえ見え隠れする。
実際のところ、映画「ゴジラ」──そのスタートは、ビキニ環礁における米国の水爆実験、そして実験により漁船「第五福竜丸」を始めとする千五百隻近くが被爆する「第五福竜丸事件」直後であり、依頼を受けて原シナリオ及びノヴェライズなどを担当した香山滋から一貫して、その正体を「度重なる水爆実験の挙句に棲息環境を破壊され出現せざるを得なかった巨大生物つまり怪獣」と位置付けている。
米国による水爆実験は「キャスティー・ブラヴォー」として今日知られているが、米側の当初予測と見積りの甘さ、誤りから斯くも被害が増大。唯一の戦時被爆国でありまた、米軍による絨毯爆撃により首都を焦土とされし記憶も未だ生々しい渦中にあって、この世情を揺るがす大事件を契機に、企画はみるみる現実味を帯びては瞬くスピードで進み、撮影・編集なども試行錯誤を重ねつ強行軍的スケジュールをすら辞さず敢行され、平行して打ち出す元祖「メディアミクス」スタイルによる一大宣伝も奏功し、水爆実験から僅か九ヶ月後には封切りを迎える「ゴジラ」は、驚異的な観客動員数と興行収入を記録、経営危機さえ囁かれていた東宝の救世主的作品とさえなったのである。
その音楽担当として白羽の矢を立てられたのが伊福部昭であったのは、あるいは偶然ではなく必然であったのやもしれない。彼の次兄・勲は、戦時科学研究員として放射線実験を担当していたが、当局は被曝を巡る充分な知見を持たずまともな防護服さえ与えず、勲は放射性障害により急逝する。また昭自身も、終戦直前まで帝室林野局林務官としてやはり放射線実験に与り倒れる。次兄の勲と同様「放射線障害」とする見解も存在するが、昭の公式ホームページ(暫定)は「転向10年」の解説によれば、実験による振動障害と過度の喫煙とするのが妥当としている。いずれにせよ、水爆実験が「悲劇」のトリガー的誘因により「人類を蹂躙する巨大生物」を描く特撮映画の音楽を担うは、水爆=放射能の恐怖を身を以て知る自らを措いて他にはいまいと、そう考え自負したとて不思議ではなかろう。
そんな彼が生ましめたる最初のメイン・テーマ──俗に「ゴジラのテーマ」と呼ばれる、一撃たるトゥッティに続き、三小節目よりリトミカルな弦楽が刻むソルミゼーション上「ドシラ─ドシラ」よりなる動機は、実のところゴジラではなく「人間、人類」を描写している事実について、それを知る人々は決して多くはないのではなかろうか。加えてこの動機は初出ではなく、過去自作にても度々用いてきたそれである。彼が「ゴジラ」のために書き上げた音楽は凡そ45分前後に収まるが、台本ごとに追ってトレースするなら、際立つのは「怪異」や「禍々しさ」ではなく、寧ろ「悲劇性」でありかつ「レクイエム的祈り」である。斯く事実については、監督である本多猪四郎がクランクイン時に語ったとされる「水爆下の恐怖に戦く現代人の心理的デフォルマシオンである。破壊の恐怖と絶望がフィクションの中から心に迫り、一つの反省を与えることができれば幸いに思う」なる言葉と如実にリンクする。そう規定するなら、戦後僅か九年、しかしながら着実に力強くも復興へとその足取りを運びつつある往時「現代日本人」への「警鐘」でありまた「文明批評」的側面をさえ浮き彫りとされるは最早「宿命」であったやもしれない。あるいはその導かれるべき絶対解ゆえ、フリゲート・マーチを除いては一音たりとも「英雄的・肯定的」ノートを記さなかったのもむべなるかな、であろう。
尚、今回は伊福部昭が後期(東京音楽大学楽長時代)の弟子にして最も成功を収めていると評価すべき作曲家・和田薫がタクトを執る日本センチュリー交響楽団による、台本に基づく構成になるアルバムからお届けしたい。
シンフォニア・タプカーラ(1954 /1979改訂稿)
先述の通り、映画「ゴジラ」と同じく54年に完成をみる当作は、因幡国(現・鳥取県)古代氏族的豪族が末裔に連なる昭にとっては、少年時代に初めて邂逅し強烈かつ肯定的イメージを与えたるアイヌが人々への思い、郷愁から描かれたと一般には理解されている。実際のところ、タイトルに採用される「タプカーラ」とは、アイヌの言語で「立って踊る」という意味であり、取り分け第三楽章のリトミカル的構造にアイヌの「立舞」──四拍目へとアクセントが宛行われる事実に、それは明白にも表れている(作曲者本人も、四拍目を強調するよう求めている)。
しかしながら、後に自身が音楽を担当する映画「大阪城物語」に転用する初稿からのアレンジ(主に第一楽章序奏=第一主題提示部)が醸す世界観は、アイヌ的というよりも「汎日本的」ソノリティを特徴としている。
筆者が初めて手にした同曲アルバム(LPレコード。手塚幸紀&東京交響楽団ライヴ盤)解説(筆者の思い違いでなければ、昭の畏友にして当作を献呈されし「洒脱な解説にて有名を馳せる音楽評論家・三浦淳史」執筆のはず)にても、第一楽章冒頭部が79年改訂時に付け加えられた旨を書き記していたとの記憶は未だ鮮明ではあるが、「劇伴」としての第一楽章序奏からするなれば、少なくとも第一楽章は冒頭のみならず、その大宗が大幅に書き換えられたとの理解も可能であり、今日におけるほぼあらゆる解説とは、時に聊か矛盾を生じる蓋然性をさえ指摘し得るやもしれない。
というのも、序奏的提示を受けて明らかにその要素を抽出せし変態型になるオーボエなど木管楽器が奏でる動機は、79年改訂稿序奏と密接に連関するからである。尤も、当初的発想(実のところ当作の淵源は、戦中たる40年代まで遡り得る)が、今日では序奏提示の敷衍とエッセンスになると解説を施される、オーボエなどが吹奏する後続動機にこそ実は根源あり、そう看做し理解を改めるなら、寧ろ「逆もまた真なり」で、斯くなれば充分にあり得べきではある。
いずれにせよ、今日普遍的に演奏される79年改訂稿第一楽章は、一部にて見受けられる「冒頭部が一新をされた」との理解程度に止まるのであれば、楽曲そのものの全体像をさえ見失いかねないのではあるまいか。そう思うだに、例えば日本語版ウィキペディアあたりの表現は、簡潔に過ぎて要領を得ぬ典型やもしれない。
とまれ本稿執筆時点で筆者が参照し得る総譜及び音源は、79年改訂稿のみゆえ(大阪城物語に関しては、映像媒体にて一部確認可能)、これ以上「深掘り」をするのは已めておこう。ただし明らかなのは、おそらくのところ第一楽章については、単に冒頭が「書き換えられた」のみならず、実は随所に手が加えられたであろう蓋然性をも担保すべきである、とは何は措いても示唆しておくべきであろう。
加うるに、先述する主要主題(第一主題要素)の「主客が関係」を度外視して猶、これらを一定のパターンになるモティーフ群として整理するなら、全曲、殊に第一及び第三楽章フィナーレとの有機的一体性をさえ担保する「稠密なる設計性」が否も応もなく浮かびあがろう。
さてここで、伊福部昭の音楽──その固有性(ユニーク性)を巡り言及しよう。
彼はアレグザンダー・チェレプニンに見出される以前より、平行五度を敢えて多用するなど、西洋的イディオムを用いつつ明らかに「東洋的」表現を目指していたに違いあるまい。そんな彼は、北海道帝国大学在学中より同時代の欧州音楽、例えばストラヴィンスキーやプラコーフィエフ(プロコフィエフ)、ミヨー、シュールホフなどの楽譜を東京は丸善を介して入手する労さえ厭わず、自らはヴァイオリンを担当し、彼らの室内楽作品などを積極的に紹介するなど、アマチュアながらその活動は旺盛であった。昭が認めるノートも、そんな先端的先駆的作曲家らの影響を被るは自明である。
結果として伊福部昭の音楽は、正統的な和声法、対位法へと「背を向ける」形で華開いていく。曰く先述「平行五度」など和声学における禁則を敢えて冒し、また対位法に関してはストレッタやフーゲッタなど、フーガに基づくそれを態と欠いている。その上で執拗なオスティナートの敷衍により楽想を発展させ、厳密なソナタ形式を採らずかなり自由度の高い書式でその「代わり」としている。そのような意味において彼の書式は、例えば音楽学者・教育者たる野本由紀夫が規定する(標題=プログラム性の許に)【詩的な言葉で書かれた(音楽の経過についての)楽曲解説のことで(中略)タイトルが付いていれば「標題音楽」とナイーブに思い込んではいないだろうか。さらには、「標題」を音楽の「内容 Inhalt」だと錯覚していないだろうか。そのような誤解は、基礎知識の欠如と言わざるを得ない】と喝破する「交響詩」の示す方向性と近似相似し、帰結として「文学的詩的表現」の代替装置たる「日本的理念や観念、情緒」あるいは「アイヌ的イディオム」をまさに「トーン・ポエム」宜し織りなしていくと看做して、決して謬りとはしない。
「シンフォニア・タプカーラ」とは、実に斯くなる「音楽」なのである。
昭自身は、放射性障害で急逝した次兄・勲への追悼作品として着手せる「交響譚詩」を交響曲とする企図を抱いていたようであるが、チェレプニンによる以前よりの戒告もあり、結局のところはそのプランを放棄する(ちなみに付言するなら、同曲第一楽章は昭になるほぼ唯一のソナタ形式を採る作品である)。
それらを踏まえ、擬ソナタ様式を旋法的統一性により実現するシンフォニア・タプカーラ第一楽章は、先述する「稠密なる設計性」ゆえ実に手の込んだ音楽であり、続く緩徐楽章的第二楽章では、冒頭ハープが爪弾く下降音型またはその変態型を単なるオスティナートに留めず、通奏低音的役割を課すべくシャコンヌ、あるいはパッサカリア的イディオムにて処理しつつ、様々なアイヌ俗謡的なる「歌」を紡いでいく。この「歌謡的」にして「雄大なる大地」を息の長いコンテクストにて敷衍・表現する術、側面も、伊福部昭の特色を為す「核心的」音楽構築の在り方である。
最も活気に満ち溢れる第三楽章は、大別するなら三部よりなるが、展開部的要素をさえ併せ持つ狂騒的コーダを伴う、夫々第一主題群と第二主題群を中核とする歌謡的二部形式とも看取し得る。なれどやはり、これも極めて変則的なる擬ソナタ的構造を有すると断じて如くはない。このフィナーレにおいては、先行二つの楽章以上に昭が自家薬籠中とせるオスティナートが縦糸として徹底される一方、これも彼ならではの限定的「対位法=ポリフォニカル」書式になる谺とも呼ぶべき応答が横糸を彩なすが如くに煌びやかにも響きつ、実に聴く者の興を唆る。圧巻は先述「展開部的要素」を孕むコーダであろう。
しかしながらこの「シンフォニア・タプカーラ」という音楽の妙は、やがて「同化政策」なる名の許に実質上「湮滅」へ追い込まれる「宿命」を背負わされしアイヌが民への「レクイエム的」それに尽きまいか。
昭自身も回想する、隔絶されたる異文化を持つアイヌが民の子らと、ほぼ唯一親しく交わりし和人=「少年昭」が記銘せる、彼らアイヌを「讃える」歌謡的交響曲である以上、帰納的それとして実質上は滅ぼされつつある「アイヌ」へと手向ける「供養が華」としての役割・機能をさえ果たすよりなき性質を有する⋯⋯斯く意味で紛れもなく「レクイエム」であり、ゆえに「闊達なる」フィナーレを添えたのだと、仮にそう捉えるなら、同年は「ゴジラ」のための音楽と「対」を為す作品として我々は「噛み締める」が如く耳にすべきやもしれない。なればこそ彼昭は、第一楽章冒頭を皮切りに「稠密なる設計性」を担保するという意味合いをも含め、有機的なる「固有性──ユニーク性」に溢れる交響的レクエムたらしめんとて大鉈を振るったのではなかろうか。
当作も同じく、和田薫が指揮する東京フィルハーモニー交響楽団の演奏にてお届けしよう。
プログラム詳解
映画「ゴジラ」全曲(1954)
00:00:00 オープニング
00:00:30 ナヴィゲーション
00:00:59 「ゴジラ」 メインタイトル:解説
00:02:26 「ゴジラ」 栄光丸船員の休息*:解説
00:04:00 「ゴジラ」 栄光丸の沈没:解説
00:04:54 「ゴジラ」 備後丸の沈没:解説
00:05:23 「ゴジラ」 大戸島の不安:解説
00:06:17 「ゴジラ」 大戸島の神楽:解説
00:07:49 「ゴジラ」 嵐の大戸島:解説
00:09:57 「ゴジラ」 調査船出航(フリゲートマーチ):解説
00:10:38 「ゴジラ」 大戸島のテーマ:解説
00:11:20 「ゴジラ」 フリゲートマーチ Ⅰ:解説
00:12:04 「ゴジラ」 水槽の恐怖:解説
00:12:49 「ゴジラ」 ゴジラ上陸:解説
00:17:09 「ゴジラ」 ゴジラ迎撃せよ:解説
00:18:48 「ゴジラ」 ゴジラ再上陸:解説
00:23:40 「ゴジラ」 ゴジラの猛威:解説
00:26:40 「ゴジラ」 ゴジラ東京湾へ:解説
00:29:20 「ゴジラ」 帝都の惨状:解説
00:32:10 「ゴジラ」 オキシジェン・デストロイヤー:解説
00:35:25 「ゴジラ」 平和の祈り**(テクスト:香山滋)
00:38:38 「ゴジラ」 フリゲートマーチ Ⅱ
00:39:02 「ゴジラ」 海底下のゴジラ
00:45:55 「ゴジラ」 エンディング**(テクスト:香山滋)
和田薫 & 日本センチュリー交響楽団
マツモニカ(ハーモニカ)*
哘崎考宏(ギター)*
大阪センチュリー合唱団**
「ゴジラ」より「平和の祈り」「エンディング」歌詞
やすらぎよ
光よ
早く還れかし
命こめて
祈る我らの
このひとふしの
あわれに愛でて
やすらぎよ
光よ
早く還れかし
ああ
シンフォニア・タプカーラ(1954 / 1979改訂稿)
00:47:51 シンフォニア・タプカーラ(1954/1979) 第1楽章
01:02:08 シンフォニア・タプカーラ(1954/1979) 第2楽章
01:12:06 シンフォニア・タプカーラ(1954/1979) 第3楽章
和田薫 & 東京フィルハーモニー交響楽団
01:20:45 エンディング
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参考文献・脚注など
JAS Journal Vol, 53 No.2 (3月号)2012年「音の日記念講演:緊急地震速報チャイムの誕生秘話」2012年度 第17回「音の匠」。伊福部達。6ページ。
文春オンライン編集部“ゴジラ音楽の父”と「NHK緊急地震速報チャイム」の不思議な縁。
伊福部昭「公式ホームページ(暫定)」より「転向10年」
小林淳「東宝空想特撮映画 轟く 1954-1984」2022年。58-64ページ。
東宝スタジオメール「200万年前の怪物日本に出現!!」特報。東宝撮影所宣傳課。1954年7月。1ページ。新撰姓氏録「神別」部【伊福部氏は「いふくべ」氏あるいは「いおきべ」氏とされ、平安初期成立「新撰姓氏録」上では「神別」氏族と記載。また尾張連(おわりのむらじ)系統の氏として分類され、氏姓は伊福部宿禰(いふくべのすくね)としている。※一部に物部氏系とする伝承・記録なども存在する。】
キングレコード「伊福部昭の芸術 20周年記念BOX」ブックレット。21ページ。
野本由紀夫「鑑賞授業をクリエイ卜するために──交響詩《ブルタバ》の誤解を解く」。音楽教育ジャーナル vol. 12 no. 2。2015. 3。24ページ。
キングレコード「響 伊福部昭の芸術2 交響楽の世界」8-9ページ。(筆者注:チェレプニンはバラキリェーフを引き合いに、未熟なうちは交響曲を書かないよう諭している。※バラキリェーフの交響曲第一番は、その完成を看るに、実に三十年という歳月を費やしている)。
相良侑亮編「伊福部昭の宇宙」音楽之友社。1992。150ページ。