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読書記録「フランケンシュタイン」
自分の作品が急に醜く見えることを「フランケンシュタイン現象」と呼びたい。
夢が詰まった自作マンガや小説を、発表したとたん直視できなくなったことはありますか?動画や写真を回収したくなったことは?
私はあるぞ。
フランケンシュタインの作者メアリー・シェリーは、父が無神論者、母はフェミニズム運動の創始者とも呼ばれる女性。
無神論者の娘が10代で書き始めた、人間をつくる小説。
書かれた200年前は、たいへん不吉な書だったろう。魔術で死者を蘇らせるとかはあっても、「電気ショック」で命を吹き込むというのは。
今でいう「AIが自我を持つ話」と同じだ。
科学の発展がこのまま進んだら、それぐらいあり得るんじゃないかと思われていただろう。
科学を愛する青年ヴィクター・フランケンシュタインは、信頼できる教授や友人に恵まれ、科学で命を創ることに憧れる。
墓場から材料をあつめ、電気ショックで命を吹き込んだ「そいつ」が動き出したとたん、夢からさめたように「怪物だ」と逃げ出し、自分のしたことを誰にも打ち明けられず、部屋でうなされる。
放棄された怪物はひとりで言葉を学び、幸福な家庭を眺めて、盲目の老人に勇気を出して話しかけたり、「若きウェルテルの悩み」などを読みながら、自分にもおだやかで幸福な日々が来ないかと夢見る。
知性はあるが、姿が醜い。
逆なら、ペットの犬猫のように、それはそれで幸福な生活ができるが、
生まれの時点で決まってしまっている。
醜く生まれた時点で幸せになることが難しい。
ヴィクターは科学力で命をつくることが夢だった。
生んだ命の「そのあと」までは考えていなかった。
人間に拒絶された怪物が、製作者ヴィクターと再び対面して、さあこれから残酷な殺し合いが始まるのか、と緊張感が高まったときに要求したことがすごい。
「女も作ってくれ」というのだ。
もうひとり、自分のように醜い女となら、きっと互いにわかりあって孤独な人生から救われる。
創造主か、自作マンガを読み返せない作者か
ヴィクターは再会した怪物の顔を「直視できないほど醜い」と感じる。
顔色は悪いが黒髪と歯はきれいと描写されているし、何より、2年も直視して作ったのに。
名前がないのも異様だ。
呼ぶのに不便だから、仮にでも名付けてあげればいいのに、名前を付けたら人間扱いしたことになるのか、目撃者も大勢いるのに誰も、かたくなに名前を付けない。
怪物には同情するがヴィクターも決して悪い人間ではない。
神様への皮肉がこめられているのかもしれないが、自分がイメージしたのは
「下手でもない自作マンガを恥ずかしくて読み返せない作者」だ。
オリジナル漫画の主人公が、勝手に歩きまわって親族と接近したり、
「当初の予定通り完結させてくれ!」
と言い出したら、スマンとは思う。
けど、努力を積み重ねて、完成した瞬間に夢がぱちっとはじけて、もう二度と見れないものになってしまうことはある。その人の中で「終わって」しまう。
人間に受け入れられることを諦めた怪物は、ヴィクターの愛する人たちを手にかける。創造主に苦しい人生を味わってもらうために。
科学にあこがれた青年だったヴィクターも、自分の手で決着をつけるべく怪物を追って北上する。
ふたりは最後にどんな結末を迎えるか。
回想につぐ回想で、ごてごてして読みづらいけど、いびつな構成が魅力だ。本自体が手に負えない生き物のようだ。
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