永田カビ「現実逃避してたらボロボロになった話」ふと描きたい、と思った愛しい「この事」とは
永田カビは、はじめてのレズ風俗体験漫画に手首傷だらけで登場してから、ずっと性と自分と漫画と取っ組み合いながら、心の病をさらけ出して生きている漫画家だ。
新作「現実逃避してたらボロボロになった話」は、親に依存した生活やありのまま思ったことを公表して親を泣かせ、罪悪感と創作の苦しみを忘れさせてくれる酒にやられ、ついに膵炎で運ばれたところから始まる。
膵炎の痛みは、体内でチクチクする「ウニ」、吐き気の「胃」、「体温計」のキャラで表現されて明るい。コマが白い。
心の痛みを表現したコマがドス黒くなるのと対照的だ。
長い間外せない点滴のあつかいや、ちょっとした医者の会話が面白い。体の病のことは笑いを入れて話せるのに、心の病を語るときは1ミリのギャグ成分も入れたくない。
作者の十分の一ほどの経験しかないけど、その感じはわかる。
変わらない食事や同室のおばちゃんの声に耳をふさいで、無事に退院したカビさん。
シャバで味わうノンアルビールや、脂肪ゼロヨーグルトの、あまりのおいしさに感激する。入院中はずっとうすいおかゆだった反動で、いろんな食べかたをためす。そして何気なく
「この事を描きたいな」
と口にする。
フィクション漫画家に転向して、今度こそ親を泣かせないものを描くんだ、ともがいていたのに、自然に種が発芽するように、「描きたいな」が自然と口から出る。
描きたい「この事」とは、なんの事か。久しぶりの脂肪ゼロヨーグルトが意外に美味しかったことか?それならインスタですむ。
ヨーグルトひとさじも許されなかった生活だったけど、回復したら、こんなに素敵なものが溢れているのに気づいたこと。子供のように、おいしいものをおいしいと感じられる感覚に戻ったこと。
永田カビは拒食過食の人だから、食べ物がこんなに美味しそうに描かれるのは始めてだ。
ありふれた幸福を感じられること。
それが「この事」だろう。
そのためには、入院していた事情をさらし、酒浸りだったことを避けては描けない。すると「そっち」に口を出す人がいる。また周囲からの非難を浴びる。恥ずかしいことを世間に公表されたと家族をまた泣かせてしまうかもしれない。
得意なことは事実を描くこと。それは家族が望んでいない。フィクションの仕事が進まない。酒に逃げられない。
そんな生活が続いているうち、またしても心の闇に飲みこまれてしまう。日常の底が抜けて真っ暗な海に落されたように、抜け出せなくなる。
平和な日々が続くように見えたのに、急に落とされる感じが、心の病のかたちに似ている。
カビさんのマンガには心の病のうねりのようなものがある。平和な日々に戻ったと思っても、いつ足を引きずり込んでくるかわからない。
近い体験をした読者は、箇条書きで症状をまとめられた本を読むよりずっと「わかる」。
「わかる」読者は、闘病を追体験し、コマが白さを戻して、ひとまず平穏なラストを迎えるころには、カビさんを戦友のように感じる。
病に苦しむ→本や周囲の言葉で気づきを経る→這い上がる。
基本的な展開は毎度このループだ。
人によっては、同じ話を繰り返していると取るかもしれない。
だけど、同じ苦しみを繰り返して、そのたびに生きるほうを選択すること。それが心の病とともに生きることだ。
永田カビは生きるほうを選択して、デビューから3年が経った。
最後のコマで明るく締めても、読者は、これからこの人がずっと平穏で幸せな日々が続くとは思っていない。
ただ、過酷な毎日を生きる戦友が、ひとときの安らぎを得たことを祝いたいと思う。もちろんノンアルで。
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読んでくれてありがとうございます。 これを書いている2020年6月13日の南光裕からお礼を言います。