北海道の刺身
河﨑秋子はちゃんと北海道では誰もが知る超有名作家になってるんですか?短編集「土に贖う」のうちの一遍でもいいから、学校でちゃんと読ませてるんですか?
トロの刺身を食べただけでマグロ全体が生きていたことを想像できるように、数ページの短編ひとつで北海道の大地と寒さが頭に注入される。
この本は北海道の刺身。北海道の切り身。北海道のえんがわ。
地方小説としてすごくかっこいい。このテキストは四国で書いている。
たとえば「がんばっていきまっしょい」って、四国が舞台の四国の文学賞で選ばれた話だけど、舞台を琵琶湖にしても成立する気がする。
かいこを飼育する養蚕業を描いた「蛹の家」では、かいこに関わる仕事がさかんだった時代を書いていて、時代の移り変わりとともに人がへっていって、さいごに餌の桑の葉がとれる「桑園」の地名だけが残る。
この切れ味。
昔の話だと思っていたら、最後に現代の地名を出して、今住んでいる場所は、数知れぬ過去の労苦が染み込んだ土地なのだぞ、と告げてスパッと終わる。
他の場所では代用できない。
馬の葬式を見る子供の「うまねむる」もいい。
この馬は加工して食ったりしなくて、人と同じでお坊さんがお経をあげるんだー、とか、大人たちがでかい穴を掘る様子を見てる感じとか、珍しい光景でおもしろいし、小さいころに遠い親族の葬式に連れてこられたときを思い出した。
そんなに悲しくないというか、葬式がなんだか理解できなくて、見よう見まねでお焼香あげたんだった。
レンガを焼いて敷き詰める作業員たちの短編「土に贖う」は、上の都合に逆らえずノルマを限界まで増やされ、労働者がボロボロにこきつかわれて、過労と暑さで倒れる。熱中症小説。
上に逆らえず、倒れるまで我慢してしまう人たち。過去のことを書きながら今の話をしている。
「南北海鳥異聞」はアホウドリを撲殺するのが天職の男の話。
鳥に忍び寄って片っ端から棒で殴り殺す「鳥殴り」だけが得意な男が、鳥を殴る。羽毛が飛び散って、殺されて初めて鳥に価値がつく。環境保護とか生物の多様性とか、かわいそうって考えとか、全くない。ちょっと狂ってて哀しい。
人も動物も哀しくて、ちょっと愛しくて、死ぬところは平等に淡々と描かれる。作者の仕事が羊飼いなのも説得力がすごい。