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XBOX購入!

ずっと「在庫あり」の表示を見ながら悩んでいたが、買ったぞ!

XBOX/SERIES Sは、ディスクを入れるところのない、次世代ダウンロード専用ゲームハード。「次世代機」が死語かどうかはわからない。

長年の相棒であるプレイステーション4はコントローラのバッテリーが弱ってきた。PS5を買う気だったけど、買いやすいXBOXを「つなぎ」で買うのもいいかと。

それぐらいの気持ちで買って…

それからというもの、ついスマホに向かっていたムダな時間と、書物に向かっていた有用な時間もすべてXBOXに吸い取られた。

昔のXBOXって、もっとムダが多くて、デカくて壊れやすくて、そこも愛せる!って人が買うイメージだったけど、こんなに賢い、隙のないマシンになっているとは思わなかった。
本体の動作音がなくなって起動が早くなる程度のものを期待していたら、ちょっと快適になるどころじゃない。

カセットからディスクになってダウンロードになったゲームの形が、まだ変わってきている。

微妙な第一印象

新しい家電はテンション上がる。誕生日プレゼントを見たアメリカの子みたいに、アマゾンの箱をバリー!と破壊開封。
本体は思ったよりでかいが、これは「小さい」という評判ばかり聞いていたから、ぼくの想像の中でOLのお弁当箱ぐらいまで縮小していたのだ。
実物は、番長の持ってる弁当箱ぐらい。

コントローラの単三電池を入れるフタがなかなか開かず、最新ハードにこんなつまづきがあるとは思わなかった。

プレステのコントローラ以外を受け付けない両手

XBOXのコントローラは右手と左手の位置が近い。構えると肩がきゅっとすぼまる。
方向キーは昔のスーファミとかの「ふにゃ」じゃなくて「カチカチ」クリック音がして、キャラクターを移動させるためじゃなく、項目を決めるためにある感じだ。
プレイステーションに比べて振動がチープで、手元から「びーん」と音がするのは気に入らんが、長所はニンテンドースイッチとPS5のコントローラより故障報告を聞かないこと。これは頑丈というより、機能をしぼっているから壊れるところが少ないんだろう。

ゲームパスは「お菓子の家」

最初はセットアップに戸惑い、ソフトを入れれば起動するシンプルなゲーム機のかたちが恋しくなったが、XBOXゲームパスとやらのコードを買って入力すると、本領発揮とばかりに変わった。
それから丸二日の間、ゲーム!ゲーム!ゲーム!ゲーム! しかしていない。 
没頭。
この目の疲れは花粉かもしれないが、それにしては外出してない。

ゲームパスというのは、ひと月1000円ほどでゲームが遊び放題になるサブスクみたいなもので、そのスケールが度を超えている。
プレイステーションで今まさに1作5000円で売ってるゲームが「お好きなものからどうぞ」とばかりに何十本も並ぶ。
超メジャー作品や海外の未翻訳インディーズソフト、ルールを知らない、実在選手が登場するクリケットのゲームとか、こんな機会じゃないと一生さわらないようなのもある。

ひとつ遊んで、遊んでいる間に次のゲームをダウンロードして、飽きたら次、飽きたら次…が延々続く。もちろん本体の音とかロード時間とかもなく、中断したゲームにはすぐ戻れる。
いや、これはすごい。
本体を普及させるのにキラータイトルひとつを持ってくるんじゃなくて、ほかでも遊べるものをより快適に100個揃えるやり方。

たとえるなら、ゲームパスはお菓子の家。

レトロゲーム体験世代は基本的に、一粒のガムを、甘いのう甘いのう、まだ味が残ってる!と口から出さず、しゃぶりつくして難しくても離さない。ギブミーチューインガム世代のぼくが、お菓子の家に迷い込み、もう元の感性に戻れなくなってしまった。

ひとくちかじってはい次。ボリュームがありすぎても、じっくり噛めば味が出るかもしれないものも、とにかく次々運ばれてくる。

ダイシーダンジョン。戦略とランダム性がはまったときが気持ちいい。

ネクストスペースレベル。架空の動画投稿を繰り返してパーツをふやし、悪ふざけからロケット開発を目指すゲーム。

マリオカートとグランツーリスモのあいだ。
「フォルツァ」は実在する車でオープンワールドを走るレースゲーム。

爆速ロードなんてなかった

よく現行ゲーム機のすごさを表現するワードに「爆速ロード」がある。前世代での待ち時間が数秒に!
もう何十年も付き合ってきた、RPGの戦闘のたびの短い読みこみ。街に入る前の待ち。オープンワールド入場前の読み込み。それがほぼなくなる。

だけど、正確にいえば、爆速ロード時間すらない。

XBOXのクイックレジューム機能は中断したところでスタンバイできるもので、本体の電源を切っても、次はまたロードを終えたところから始められるので、何本ものゲームがロードしたあとの状態でスタンバイしている。

ロードどころかセーブもしてないまま最後まで終わりそうだ。

終わらない至福の時

「フォルツァ」のメキシコを駆けつつ考えた。
もうこれは元の感覚に戻れないと。
ぼくはTSUTAYAにビデオを借りに行く生活に戻れないし、2曲入りのシングルCDを1000円で買える日を待つ生活にも戻れない。ゲーパスを知らない感覚に戻れない。

ソニーのプレイステーション5も対抗する「お菓子の家」のようなサービスを始めないといけなくなる。
かつてニンテンドー3DSが発売後の出足が苦戦しているときに、PSVITAが思い切り意識した価格設定にしてカチコんだ。スーファミのゲームを1万円で売っていたとき、ディスクで声もムービーも入ったゲームを5800円で売った。
攻撃した側が今、追われる側になっている。パクリなんかじゃなく、攻撃に応じないと潰される。

嬉しい中にいちまつの寂しさ。

ぼくのゲームの思い出をたどると、ゲーム外のことがたくさん出てくる。
お年玉を握りしめてゲーム屋のショーケースの前で悩んだとか、クラスで一人だけ発売日にストⅡを買ったクラスメイトの家にみんなで集まったとか。そういう原体験が、マイクロソフトの物量作戦で過去のものになる。

「正月にチラシを届けるゲーム屋さん」なんか子供にとっては「貸本屋」ぐらい古い響きになるんじゃないか。
そういうゲームの外の思い出が消えていく寂しさはある。
子供たちはオンラインゲームの中で友達と会うから、ゲーム外の思い出がゲーム内で起こるのかな。ややこしい。

じゃああなただけ、古き良きぬくもりがあるとかぬかしながらスーファミのソフトを1本9800円で買う生活してろよ、と言われたら断固拒否ですよ。なんで僕一人だけ90年代に置き去りなんですか!ついていきます!

お小遣いをためて買って、ひとつのゲームにうんうん悩んで取っ組み合いして、最初は後悔してコントローラを投げたゲームも味がわかってきて「大切な作品」になった、なんて付き合い方は、なくなっていくかもしれない。それは寂しい。

でも、ゲームの作り手も、「ロード長い」「値段高い」よりは「快適で楽しかった」と言われたいだろう。実験的なものや、買ってから言語が対応していないことに気づくとか、お金を出しづらいものもある。クイックレジュームで快適に遊べる形こそが、本来届けたかったものではないだろうか。

初めて格闘ゲームを見た。初めて立体視やオンライン共闘をやった。そんな一生ものの出会いは今後なくなってしまうかもしれないが、今すぐ話題にしたくなるような世界中のアイデアが詰まったゲームが100個スタンバイしている。

モノのない時代の過去の自分には申し訳ないが、こんな恵まれた環境を堪能しないわけにはいかんのだ。

こちらのコントローラセットなら在庫も豊富にある。重いけど高級車を操縦するような重厚さ。




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南ミツヒロ
読んでくれてありがとうございます。 これを書いている2020年6月13日の南光裕からお礼を言います。