【マンガ感想】ジョージ秋山と詰み本の呪い「ドストエフスキーの犬」など
ジョージ秋山は毒薬だ。
コンプレックスまみれのうじうじした男がひとりで傷ついて、通りすがりの女を横目で見て、欲情をおさえきれずに乱暴する。した方のくせに自分に嫌気がさして布団をかぶって泣く。死ぬ。
ジョージ秋山の代表作「浮浪雲」を父親が20年以上前に読んでいた。
今、それとは関係なくKindleで息子のぼくが同じ作者にたどり着いたことにちょっと恐怖を感じている。
なんで嫌悪感があるのに自分はジョージ秋山に引き寄せられたんだろう。
「オリは毒薬(どくぐすり)」は、ひとり語りのスピード感がすさまじい。自称新宿の帝王、毒薬仁太郎(どくぐすりじんたろう)様が、札束をぶん回して女を付け狙う。
「世の中金じゃ」キャラはよくいるけど、こいつの顔面力が凄いのだ。ここまで顔で語るやつは初めて見たかもしれん。
「オリはようオリは誰なんだよう、オリの名前をいってみっ」
「新宿の帝王 毒薬仁太郎様です!」
田舎育ちと金で苦労したことを根に持って、東北出身の女に
「オリは群馬だから群馬のほうが東京に近い」とわめきたてる。そして運転手の水薬(みずぐすり)とともに、車体が傾く勢いで海へ行き、桑田佳祐の「真夜中のダンディ」を熱唱する。この後ろ姿が妙にかっこいいのが笑える。
金で善良な人を揺さぶる悪さよりも、格闘マンガのスピード感と疾走感がたまらない。金と女にしか興味がもてないようであり、ホームレスに金をばらまく、この時代の悪党には珍しくタバコを注意するなどの一面も持つ。
「ドストエフスキーの犬」は、犬がカラマーゾフの兄弟を拾ってくる話。
今でこそ「積み本」「積みゲー」と、買ったものを消化できなくてもSNSに写真あげたり、それでもいいじゃんっていう流れがあるけど、昔はもっと、本当に「積み」は「罪」だった。
話の流れで人からオススメ本やCDを借りてしまったけど、なんか興味がわかなくてどうしよう・・・という経験もあるはず。
せっかくの本を読めないでいることはダメなことだと感じていた。積み本は本棚からプレッシャーを与えてくるものだった。
出世するまで故郷には帰らないと話していた「勝三兄ちゃん」にカラマーゾフの兄弟は渡る。
母ちゃんにとってドフトエフスキーは「若いときにこういうのを読んでればもっと立派になれた」
学校の先生にとっては、うっかり夢中になるぐらい面白いもので、「若いうちにドフトエフスキーぐらい読まなきゃいかん」と言われる。
ドフトエフスキーは、読めることがちゃんとした大人の証明になるような存在として出てくる。
これを、勝三兄ちゃんはいつまでも読めない。
まあいいやと放り投げることもできない。
仕事ができない、友人ができない、異性と接することができない。
そんなの自分ひとりじゃないかって、自分を追い詰めていく。
ネットのない時代の孤独はいまよりもっと冷たく、友情はいまよりずっと熱いものだった。
これが少年サンデーに連載されたということに驚く。連載時期は「銭ゲバ」など問題作で話題の作家になったあと。
作者本人が「私は人を殺した」と独白するところから始まり、
次の週では「あれは嘘だ、本当はこうやって殺した」と、どんどん告白が訂正されていき、どこに真実があるのかわからなくなる。
ひとり逆転裁判みたいな「証言の訂正」の連続だ。
この一冊で面白いものではない。
だけど、こんな漫画もあるんだ、と驚ける。
プロになっても流行に乗ることや売ることを第一にしないで作家性を出して、描きたいものを描いている。(ように見える)そこに元気をもらえる。