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【読書】団鬼六「大穴」

昭和30年代、大阪。
勝負事に強くてリア充の恭太郎と、彼の言うままに金をもらって授業の代返をする耕平。
対照的な大学生コンビの、湿度高めのねっとりした昭和大阪キャンパスライフ。

話は大学生ふたりが小豆相場に大金を出す場面から始まる。
僕はあずき相場とたぬき蕎麦の違いもわからないけど、
「台風が来ると穀物がとれなくなって相場が上がるから、買い占めておけば儲かる」みたいなこと。
今だと、新NISAで仮装通貨でブロックチェーンで闇バイトで〜、みたいなことをやって大人の何倍も稼ぐ、うまいこと勝ち運にのっかって、つぎつぎ女に手を出す大学生。だから、今でもこういう人、いるなって感じ。

昭和30年代の大阪で、一人称「わて」の人たちがいて、「アルサロ」「就職運動」と、死語も出てくるから半分異世界小説みたいな感じで作品内を旅していると、突然その中に「今」を発見する。

反対に、複雑な家庭環境で育ち、自主退学を考えていた陰キャの耕平は、陽キャの恭太郎に金を出してもらって女遊びに付き合わされるのだ。気まずいけど女の人に密着されて硬派を気取ってごまかそうとする。
真面目で陰キャ、でもあわよくば自分も女の人と…みたいなところはある。どちらも善悪で割りきれない人間らしさがある。

陽キャの恭太郎は一度財産を失うけど、その姿を見て耕平は安堵する。
「FXで有り金全部溶かした人」ってミームがあったけど、
「小豆相場で有り金溶かした恭太郎」を見て、
ああ、自分の地味な生き方は間違ってないんだ、神様は公平で、いい思いをしたぶんひどい目に合うんだ、と内心思う。

「小豆相場」を「新NISA」とかに変換すれば、今でもある話だ。
いつのどんな国の話でも、そのなかに「今」を見つけると、ぐいぐい読んでしまう。

主人公の大学生二人組に、もう一人の落ちぶれた男、順吉というのが声をかけてきて話は動き出す。
男の風貌は一見ホームレス。家はあるけど、ボロボロの小屋で鼻たらした子供たちが「父ちゃん腹へったー」って言ってる感じ。
その男が「今は落ちぶれても、わては、こう見えてもすごかった」と大学生コンビに声をかけてくる。若いのに見どころがあるから、儲け方を教えてやろうと。

落ちぶれた元勝負師が「わてが昔どれほど金持ちだったか」のエピソードもすごい。
北新地の芸者と南地の芸者をお座敷に集めてつな引きをさせたこともある、というのだ。

何だそれ。
この価値観が謎。
謎でんねん。
昭和30年代の金持ち、タワマンも高級車も買いまへんねん。芸者を集めてつな引きさせますねん。
「つな引き」が心理的な駆け引きの例えかと思ったけど、違いまんねん。
けど、今でも金と権力を持ちすぎて頭の壊れたオヤジは、グラビアアイドルの水泳大会とか開催して喜びそうなイメージはある。金持ちの夢は、今も昔も「運動会」なのかもおまへんな。

マンガでも小説でも大金持ちが出てくる話は、最終的に「世の中金だ」になるのか、破滅に向かうのか、全てを失った果てに何かが残るのか、終わらせ方で作者の人生観が見える。

「大穴」の終わり方がどうかというと、若き日の作者の勢いが最後で炸裂して、個人的には耳元でゲップをされるぐらいには嫌いな読後感だった。

それまでかなり楽しんでたのに、うわー!だよ。最後に「いやな昭和」出てきたー!
女は苦労ばかり。ツキがなくなった男はひたすら見下され続ける。カネと幸福が今より直結していた時代の話でした。

執筆当時、これで作家生活を終わらせるつもりだった黒岩松次郎は、本作のヒット後にペンネーム団鬼六に変えてSM小説家という異端の道を歩む。本当に大穴を当てて人生を変えた。








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南ミツヒロ
読んでくれてありがとうございます。 これを書いている2020年6月13日の南光裕からお礼を言います。

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