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【映画感想】「シビルウォー アメリカ最後の日」

夫が先日、突如として「見たい映画がある」と言い出し、
平日は仕事が立て込んでいるので土日に行きたいと申し出てきた。

思春期息子はまずいかないとして、娘にお伺いを立ててみる。
「シビルウォーっていう映画を見たいんだけど一緒に行く?」と。
夫が内容をかいつまんで説明すると「行かない」と即答。
確かに。
どう考えても娘が好む内容ではない。
みっちーも出てこないし、ラブもない。
人が次から次へと死んでいく戦争の映画だもの。

というわけで、お兄ちゃんも家にいるし二人で行こう、ということになった。
私の映画の好みが確かめられることはない。
夫は一人で映画館には行かない。行けない。

あんまり詳しく説明されることもなく、観に行ったが私は面白かった。
アメリカで反大統領の組織ができ、内戦が起こる、というもの。
反体制組織がついにホワイトハウスを制圧する…というところまでを
戦争カメラマンの視点で描いている。
夫は、この内戦の経緯が詳しく描かれると思っていたようで、
「なんか思ってたんと違う」という感想だったが、私は前知識なしで
見たものだから、単純にジャーナリストの話、として見ると興味深かった。

世界各地で起きていた紛争を写真に収め続けた女性カメラマンが、
ついに自国で起きた内戦を最前線で写真に撮り続けることになった。
「ずっとこういうことがアメリカで起こらないように、と願いながら
撮り続けてきたつもりだったのに…」という彼女の言葉。
そこに一人の若い女の子が「戦争カメラマンを目指している」と合流する。
二十歳にも見えないような幼い女の子。
両親は田舎で、自国に起きている内戦にも無関心なのだと憤っている。
その言葉に、ドキリとする。
無関心、とは違うつもりでいるが、それでも
日々の生活にいっぱいで、
遠い何百キロも離れたところで起きている紛争に対して
自分ができることは何だろう。
他国のことだから、でもなく、自国内で起きていることなのに…という
空気。
だが、それでも日々の生活が送れてしまう場所にいたとしたら。

彼女たちはカメラを片手に、紛争の、まさに銃弾が飛び交う中を
走り抜ける。
シャッターを切りながら。
兵士たちの後に続き、柱の影から壁の影から、時には身を乗り出して
シャッターを切る。
目の前の人が倒れても。
目の前の人が息絶えても。
シャッターを切り続ける。
そこに、「皮肉」も入っていると感じる。
「伝える」という使命を持った彼女たちだが、その少女は徐々に前のめりに
その瞬間を「撮る」ことに執着する。
目の前で倒れる人間を跨いで「撮る」行為に執着する姿はどこか異様に映る。

私は報道カメラマンの何たるかを知っているわけでもないので、
正解は全くもってわからない。
世界平和を願えるようなそんなすごい人になれたらいいなと思ったこともあるけれど、今は自分がどれだけちっぽけな人間かもわかっている。
せいぜいが目の前の人や隣人と喧嘩をしないように、ぐらいの人間だ。

でも、銃を構える人たちがいるすぐ横で、普通に店を営んでいる、という
異様さも理解できる。
私は、銃を構える人間でも、カメラを構える人間でもないな、とも思う。
そんなことを悶々と考えながら、自国で起きないといいな、世界各地の紛争も
終わればいいのにな、と思うことしかできなかった。

映画が終わって、ちょっとはウロウロしたりするのかな、と思ったら、
思いの外、夫が車に直行で、
夫がウロウロすると言い出しても困るな、と思っていたくせに
いざ相手があまりにも直行だとイラッとするのだな、と知った。
そんな小さなことに気を揉む私はやはり小さい。




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朝月広海
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