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 先日花見をした狭山池。実は先月も一度行っているので、同じスポットの記事となります。しかし同じ場所とはいえ、季節によって顔が違うのも事実。さらに新しい情報も次々と入るでしょう。そこで寺ヶ池公園のように、定期的に南河内のスポットの情報をお届けしていきます。

 こちらが初めて行った時の狭山池の記事です。

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 この日は狭山池博物館に行くために来たのですが、ちょうど桜が咲きそろった季節と重なりました。
 その模様はこちらです。


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 前回との違いはまずこちら。池に水がしっかり入っていました。ただ前回は南側から狭山池を眺めましたが、今回は北側から眺めています。

 これは調べてわかったことですが、2020年11月から2月までは意図的に池の水を抜く「池干し」というのをしたそうです。理由は水質向上の検証だとか。だから前回の2月頃に行ったときには、水が少なかったんですね。

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 角度を変えたところ。池のすぐ目の前は人が少ないのですが、土手は一周できるために人が多いです。この日はサクラもきれいだったので余計に多かったですね。ちなみにこの位置は、古代から堰き止めた場所で「狭山池ダム」と呼ばれています。その堰き止めについての情報については、すぐ横にある狭山池博物館で見学しました。

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 ここで歴史を感じるものを発見します。これを調べると龍神社となっており、狭山池の守護神でした。夫婦の龍神を祀っているそうです。

 これには次のような伝説がありました。(以下引用)

河内国丹南郡の狭山池には大昔から雌の大蛇が棲んでいたという。一方、石川郡喜志(現富田林市)の粟ヶ池には雄の大蛇がいて、夫婦の間柄だった。
 この雌の大蛇、毎夜夫のもとに通うのだが、その巨体で田畑の作物を薙ぎ倒し、運悪くそこに居合わせた人や牛馬を丸呑みにしながら行くものだから、人びとは困り果てていた。
 大蛇を退治しようという血気盛んな若者たちもいたが、祟りがあっては大変と年寄りたちは制止した。話し合いの末、夫の大蛇を狭山池に迎えて一緒に棲んでもらおうということになった。祠を建て、粟ヶ池の大蛇をそこに導いた。村人たちは供物を絶やさず祭祀を続け、以来田畑が荒らされることはなくなったという。

 また龍神淵というのが横にあるそうです。画像をよく見ると右側にくぼみのようなものが見えました。直径が27メートルで深さが5メートルあるそうです。

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 こちらが取水塔。古代からの歴史があるこの池は、池からの水の取り方などにも歴史があり、それも博物館で紹介していました。博物館の記事については後日載せますので、そこで詳しく紹介します。

 ちなみに主水塔の後ろにある赤い部分は、狭山池展望台とのこと。今回はそこまで行けませんでしたが、またいずれ。

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 あまりにも歴史あるため池なので、国の史跡に指定されていました。

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 ということで最後に全景をもう一度。やはり普段行く寺ヶ池と比べて狭山池は広大ですね。

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 ということで、狭山池の紹介第2弾でした。

狭山池ダム

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