池上曽根弥生遺跡 ~考古学と神話の間~
池上曽根弥生遺跡(いけがみ そね やよい いせき)を取り上げます。今回も南河内から少し離れた和泉国にあるスポットの紹介。といっても、河内とか和泉とかそういう国の存在がなかったであろう弥生時代の遺跡です。
今回の池上曽根弥生遺跡と河内長野との位置関係ですが、公共交通だとちょっと不便。しかし車というか直線距離であればそれほど遠くないのがわかります。ちなみに遺跡は和泉市と泉大津市にまたがって存在。そして和泉市と河内長野市は南側で市を隣接しています。
JRの信太山駅からそれ程遠くないところにありました。河内長野とその周辺は結構高低差のある丘と谷を上り下りすることが多いですが、この辺りは海の近くのためか平坦で歩きやすかったです。
そして遺跡公園に入りました。復元された弥生時代の建物が印象的です。
こちらが遺跡公園の案内図。公園の中に第二阪和国道が入っているのが特徴です。南のほうにも弥生文化博物館がありますが、この日は所用を終えた夕方前の訪問だったので、そこまでは行けませんでした。
復元された建物は柵の中にあるので門限があります。ぎりぎりだったのですが中に入ってみました。
中に入ると、神社で祀られている神話の時代よりも、少し前くらいのイメージ(ただし神武天皇の即位が紀元前660年なのでそれに従うと、神話時代)でしょうか? 安易といわれても「ロマン」という言葉を使いたくなる気持ちになります。
これは後で、もらったガイドマップをスキャニングしています。紀元前50年ごろの遺跡のようですね。以下ガイドブックより情報を抜粋しますが、11万5000平方メートルが遺跡の範囲です。
復元図がありました。当時の村・集落の様子です。復元されているのは主に中央の部分でした。
下に書いていますが、土屋根を持つ半地下式の小竪穴とあります。そこで中が見えるようにちょっと違和感あるガラスが貼りついていました。
中を見ましたがガラスが傷ついていることもあり、はっきり見えなかったのが少し残念でした。温度と湿度が一定なので、保存したいものを入れるのに適しているのでしょう。
こちらがひときわインパクトあるメインの建築物。「いずみの高殿」という名前がついています。
途中から無料でガイドをしてくれる人が来てくれました。その人がポイントを説明してくれたのでわかりやすいです。例えば屋根のところにもこだわりの文様。
こちらは下の部分。柱の跡を発見して、そこからここまで復元してしまったというのはある意味驚きです。
上に向かう階段。上は閉鎖されていましたが、床面積が135平方メートルあるそうです。
ここにも絵が描かれています。せっかくなので拡大しました。
世界中の遺跡にありそうな壁画みたいですね。日本の場合はこの建物のように木を使ったので、他の石や洞窟を使った遺跡みたいに現存しなかったのは仕方のないこと。
屋根の上には鳥の模型が羽ばたいていました。ガイドブックにはこう書いてあります。
屋根の形は魂を運ぶ聖なる鳥舟(日本神話に出てくる神が乗る舟)を、イメージし、屋根の上には、祖霊を導く聖なる鳥をかたどった鳥形木製品を飾り、建物の神聖さを表現しています。
この巨大高殿の隣には井戸がありました。
「やよいの大井戸」と呼ばれるもので、2.3メートルのクスノキをくりぬいたそうです。
「掘立柱建物」とありました。道具を作るエリアと推定しているようです。
沈みゆく太陽とのショットも、なかなか味わいがありますね。
大きな立柱が立っていました。後ろに見える車と比較するとその大きさがうかがえます。
説明文がありました。この辺りは住むところではなく作業をしたり、特別な儀式をしたりするエリアだったようです。
隣には竪穴住居も復元していましたが、現在は柵の中には入れないようです。
竪穴住居です。竪穴住居と言えば縄文時代のイメージがありますが、弥生時代も一般の人が住むのに使っていました。
ただガイドブックでは、500年かけて円形から方形に変化したそうです。今も半世紀以上前の住居と最新の住居ではいろいろ変化していますから、それが普通なんでしょうね。
そこに住居があったであろう穴だけのところもありました。
こちらも遺跡の構成図。それぞれのエリアが決まっていて、水田が少し離れたところにあったんですね。
ということであわただしく回りました。すでに夕暮れどきですが、弥生時代の人も恐らく同じような夕暮れを見ていたことは間違いないでしょう。
池上曽根遺跡
住所:大阪府和泉市池上町 と 大阪府泉大津市曽根町 の間にまたがる
料金:無料
見学時間:10:00~17:00
定休日:月曜日
アクセス:JR 阪和線 信太山駅 徒歩7分
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こちらの企画にも参加してみることにしました。よろしくお願いします。