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自己肯定感が幸せの源泉

「自己肯定感って何?」というのは長年思ってきていたけれど、心理学的な本を読んでも正直わからないことが多かった。

漢字の字面がそもそもぼんやりしているし、肯定って文法用語くらいしか見ることもないし、「肯定する」という言葉は「賛成」とも違う。可もなく不可もないような感じだ。

自分のためにいろんなことを見直しているのだけど、私には自己肯定感は足りなかったと思う。
ずっと私は焦ってきたし、「もっとやらなきゃ」「もっと進まなきゃ」と自分じゃない何かになるために意識が向いていることの方が多かった。

「今の私が嫌だから、もっとこうなりたい」
「私の性格が嫌いだから、性格を変えたい」
「今の生活が嫌だから、もっと頑張らないといけない」

そういう思いはどう見ても自己肯定感はゼロだ。
今の自分に「いいね!」と言えないまま、何か追い求めても、空回りしたり、他人と比較してしまったり、空虚感が抜けないと思う。

自己肯定感は
「私のこんなだらしなくて、みっともないところもいいよね」
「私はバカだし、自分勝手だし、怒ってばかりだし、寂しがりだけど、そういう自分も自分だよね」

みたいに悪いところも「まあいっか」「そういう自分がいるな」と思えるようになってやっと身に付くように思う。

「どんな自分も許そう」と思えるようになった時にやっと自分の首を絞めていた「こうあるべき」から解放されるようだ。

「こうあるべき」はわかりにくいけど自己否定で、肯定とは反対のこと。
だから生きづらくなるし、なんだか惨めで厳しい世界が出来上がる。

常識とか、正解とか、理想はあるけれど、そこに魂を売ったら生きづらくなる。

誰と比較するでもなく、自分の持っているだらしなさ、怠心、心の傷、不安や心配も全部「そういう自分も当然居ていいよ」と受け入れられた先に安心が待っている。
だから強制的に自分のダメさを痛感させられるどん底を経験するのは、悪くない。

「こんな私は良くて、こんな私はダメ」と差別している限り、やっぱり心は満たされないし、その満たされなさを他人からの賞賛や現実の成果で埋めようとしても、自分が信じている限りは他人の言葉は響かない。

学校や家庭の中で自己肯定感が欠落してしまった人は、その欠落が勘違いだと思い直すことから始めることができたら、首に回した手を緩めるかのように呼吸がラクになるはずだ。

自己肯定感を持つことは難しいことでもなんでもない。
でも、社会の中の綺麗事や建前を鵜呑みにしていたら、持つことは難しいのだと思う。


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心理分析大好きみなみん
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