とりあえず楽しく生きた小3だったのかもしれない。 活発だったと思う俺は、 放課後もみんなでサッカーしたり、野球したり、 とりあえず身体を動かす事が好きだった。 ある日、人生で初めて、雪が降った。 昔は九州で雪が降るってのは、 奇跡に近かった。 学校も終わり、今日もサッカーしようおもい、 体育倉庫に行くと誰も居なかった。 どんだけみんな寒がりなんだよ!って思ったのを 覚えている。 そんな体育倉庫でぼぉーってしていた時に ある人物が現れた。 和帆である。 「今日は寒い
いきなり話が飛ぶが、 息子がヘルニアの手術で、明日から入院するらしい。 全身麻酔をビビってた。 高2でバスケ部。 大事な時期なのにな。 とても切ない。
小3の春、 人生を変える出会いがあった。 となりのとなりの街から転校生が来たのである。 和帆。 柴犬のようなつぶらな瞳の男。 ある程度、小3ながらにクラスを仕切ってた俺は、 彼に誰よりも先に話しかけた。 彼は剣道をしていて、 剣道をやりたいと言っていた。 少しシティーボーイぶってる。 腹がたった。 補足になるが、 うちの地元はかなり剣道が強かった。 全国優勝は小中学校合わせて2桁を超えていた。 剣道かぁー。 小1の時に親戚のタケゾウ君に誘われて、入部したけど、 全
小学校の話をする前に、 記憶が蘇り、 幼稚園が一緒で、 同じクラスだったカズユキ君の事を思い出した。 凄く活発な子で、足も早くて、 そんなカズユキ君の従兄弟の家が近くて、 遊びにきてた時はよくカニ取りをしたのを思い出した。 元気にしてるかな? 小学校からは別でいつの間にか疎遠になっていった。 多分その理由は、カズユキ君がスーパーの駐車場で事故に遭い、片足が不自由になった時ぐらいからだったと思う。 小学校に入学。 入学式には、風疹で参加できなかった。 クラスのみんなが馴
「ミナミ起きてー」母親の声。 今日から保育園ではなく、幼稚園の始まりだ。 私服ではなく制服。 制服に着替えて、幼稚園の送迎車の迎えが来るのを待つ。 母親と祖母に見送られ初登園。 母親と祖母の手を振る姿。 送迎車の隣りには引っ越してから、 隣りの家に住んで居て友達になった 2つ上のたっちんと その弟のゆうすけ。ゆうすけは2つ下。 初登園は自己紹介されて、 外で遊んだって記憶しか無い。 そしてこの頃は意外と記憶が曖昧になって、 う◯こ漏らしたとか、先生のおっぱい触った記
第2話で気づいたと思うが、 いきなり俺と言い出した。 なかなか、長い戦いになると思ったから、 曝け出そうと思ったからだ。 「ミナミ君が、今日限りで、 この保育園か最後になるので楽しく遊びましょー」 1番最初におちょくってきたのは、 1つ下の、猪八戒と沙悟浄みたいな2人だった。 デブとガリ。 多分、2人も仲良くて、絡んできたんだと思う。 今になってはいい奴らだ。 名前も覚えていない。 その後、いろいろ最後の挨拶的な感じで遊んだが記憶には無い。 最後は想像と一緒です。
いつも通り、保育園で降ろされ園に入る。 自分で言うのもあれだが、 相当活発で人気モノだったと思う。 4歳ながらに。 ある時、新しく入園生が入ってきた。 マキ。 これが運命の出会いだった。 1つ上で、何かやる時も、 いつも絡んできていつもケンカしてた。 デカくて、今で例えるなら、和田アキコだ。 でも意外と仲は良かった。 保育士さんが、 昼寝の時間に、寝れない俺を連れ出して、 買い出しに行ってた。 スーパーで、 息子さん可愛いですね〜って言われてて、 ありがとうございま
人は最初の記憶っていつからあるのだろうか? 私がしっかりと覚えているのは、 今の実家を建てた時に2階から見た 東シナ海に沈む夕陽を見た時の3歳の時である。 当時、鹿児島の少し街に住んでいた父親が、 ローンを組んで父親の地元、 私の故郷にあたる町に家を建てた時からである。 その後の思い出は、 家が建つまで、父親の地元のほったて小屋に住み、 台風がきて、人生で初めて本当の恐怖を味わった事ぐらいだった。 そして、家が建った。 今でいう、ありがちな中古物件のような2階建ての家
なぜ文字を書こうかと思ったのか。。 それは誰かに自分を見て欲しいとか、 知って欲しいとか、 結果、自己顕示欲である。 2年ぐらい前かな? 一緒に風俗の店員やってた仲間から、 小説とか書いてみたら良いんじゃないですか?って 言われたのを今でも引きずってるからだと思う。 とりあえず、現在、1983年1月30日生まれの40歳。 新しい事を始めるには区切りとして丁度いい。 現在はFXをしながら、 早朝、ゴルフ場の球拾いのパートをしてる。 では今後、自分の人生を書いていきた