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居心地が悪いのは自分が強欲だから

少し前まで「居心地」について、まあまあの頻度で想いを巡らせていました。

幼少の頃からいつも感じているのだけど、わたしはどこにいても居心地が悪い、現在進行形で。

さすがに友達といる時は、そんなこと感じないけど、いわゆる社会活動的なことにまつわることは(仕事だったり、付き合いだったり、学校だったり、血縁関係があるはずの親族付き合いでさえ!)基本的に居心地が悪かったし、居心地が悪い。

人付き合いが下手というのもあると思います。

基本的には2〜3人以上の集まりになると、もうダメ。
若かりし頃は馴染もうと頑張ったけど、最近は頑張ることもしなくなりました。
(もちろん大人数でも大丈夫な集まりもあるから不思議、、、)

孤独というわけでもないし、居場所が無いわけでも無いんだけど、この居心地の悪さって何だろう。


そんなわたし、HSP診断なるものをするとHSPと診断される。でも、あの診断はかなりの確率でHSPに当てはまってしまうんじゃないかな、幅広な感じで。

だって、この世は繊細な人には無理すぎる世界だし、いわゆるメンタル普通の人でもキツいこと多すぎると思います。

確かにわたしは繊細な方だと思うし、メンタルは弱い方です。
とは言っても、ある側面では神経質で頑固なので、メンタルは強いとも言えます。
(これ我ながら本当にそう思う、メンタル弱いけど強いんだよね笑)

多分それは繊細があるゆえ、かなり鈍感でいられるように自主練を続けてきたからです。

意識的でもあるし無意識的にそうしてきたのかもしれないけど、あるいは年齢を重ねてきた強さが出てきたのかもしれないけど、スルー力を身につけ鈍感でいられるようにもしています。

それは卑怯かもしれなし、非常にドライな対応になる時もあるけど、自分のメンタル守るにはそれが一番。
卑怯でも逃げてもいい。
自分が壊れたら元も子もないから。


そして、話が少しズレたけど、あらゆる状況において、自分が居心地の悪さを感じない「居心地の良い場所や状況」について固執しないようにし始めました。
現に居心地の良い場所や関係性はちゃんとあるんだから、仮に居心地の悪い場所や関係性が出てきたとしても良しとしています。そのような状況に出くわすということは多分自分の何かがズレているバロメーターにもなっているだろうから。

自分の違和感を無視せずに、鈍感力を磨きながらも、感覚を研ぎ澄ませるようにして(なんてことはない、単に腹に心に聴くだけです)、言葉は悪いけど、出来事や状況を取捨選択していったら、居心地の悪い場所や関係性は無くなっていったのです。出てこなくなったというのが正しい表現かもしれません。

確かに居心地の悪さは感じることは時折出てくるけれど、それを無くそうと躍起になっていた頃に比べれば、桁違いに楽になりました。要は自分ですよね。



強欲なわたしは色々なことに気づくまで、違和感を感じながらもそこに居続ければ状況は変わるかもしれないと固執していたけど、違うなら離れるまで。

離れてみるとスッキリする反面、ちょっとした寂しい気持ちも出てきます。
それでも、気付かぬうちに違う方向から素敵なことがやってきたりします。

これの繰り返しなんですよね。


風通しがあって、核の部分で共鳴し合う何かがあれば、たとえそれが一瞬であっても、なんか通じたと感じることがあれば、それでオッケー

完璧な世界や人や居場所なんて、窮屈なだけ。
それを追い求めていたわたしも繊細なふりをした窮屈な強欲な人間だったんだろうな。

この人、この人たち、ここの場所、この雰囲気、この考え、なんか心地よいんだよね。これでちょうど良いのだと思いました。


さてさて、最後に。
わたしには、ごくわずかだけど本当に居心地が良いと思える相手や集まりや場所があります。これってすごく幸せなことです。

奇妙で頑固なわたしを受け入れてくれている人たち、いつもありがとう。


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