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東京からロンドンとダブリンの劇場へ

    • ゆるやかな監禁の丘で

      「あなたの数ヶ月の勉強期間を、たった一週間で超える体験ができるよ」  バスのドライバーが、曲がりくねった丘でハンドルを切りながら言う。  窓の外は霧がかかり、少し先の風景すらぼやけている。  夫婦二組が下車し、私は最後の乗客だった。    短期留学を終えて、数日間の延泊を計画し、北の荒涼としたエリアを一人、遺跡めぐりのツアーに参加。二日目の今日からは宿を決めておらず、観光に適した街で降ろしてもらおうとしたのだ。19歳の夏だった。 「宿のマスターが日本語を喋れるからね、今日の遺

      • 【short suspense】 BGMピアニスト beat3

         次の瞬間、彼女の右手がテーブルの上へ振りかぶった。  私は、指を一小節に音を大量に押し込むように転がし続け、第三楽章の四分の四拍子から、八分の六拍子の旋律へ移行した。自分でも何の旋律かわからない。しかし、聴き憶えのある、懐かしい音符のつながり。  彼女がこちらを見ていた。数秒間、目が合った。右手は首に触れていた。赤い爪が見えた。私は視線をずらした。一度、宙を仰いでから、薄目でテーブルの下のほうを見る。彼女の茶色いブーツの足元に、ステーキナイフに似た、バタフライナイフが転がっ

        • 【short suspense】 BGMピアニスト beat2

           私は、小学生時代のある日のことを思い出していた。居間のアップライトピアノで練習曲、ブルグミュラーの「タランテラ」を弾こうとしていたときだった。三つ下の妹が、宿題だといって、教科書の「スイミー」朗読を始めた。私は気にせず「タランテラ」を弾き始めた。すると。小さな黒い魚スイミーが、それに合わせて泳ぎだすのを感じた。妹の朗読は続く。「タランテラ」は短調から長調へと変わっていく。私ははやる気持ちを抑えて、注意深く弾き進めた。やがてスイミーは他のたくさんの小さな魚たちと団結していく。

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          3本

        記事

          【short suspense】 BGMピアニスト beat1

           照明がトーンダウンする時間になり、ディナーの皿が行き交いはじめた。フロアには四角い木目のテーブルが並んでいる。椅子は各二脚、隣り合った側面に置かれていた。相手と斜めに腰掛けるスタイルだ。天井は、高い。籐でできた風変わりなランプが、形はばらばら、長短さまざまにぶら下がっている。だだっ広いフロアのどこ一つとっても、同じ雰囲気の席はない。  入り口のちょうど対角線上に、ヤマハのアップライトピアノがある。私は、その鍵盤に両手を置いている。フロアを見渡しながら、その日の音の反響具合を

          【short suspense】 BGMピアニスト beat1

          深夜のノックと鳴らないピアノ

          ドンドンドン……! 今夜も隣の玄関ドアを叩く音がする。 深夜0時近く。先週の金曜、昨日、そして今日。三度目だった。 私はテレビを切る。 壁が薄く、部屋の中でわずかに彼女の移動する音が聞こえる。 叩く主は耳をそばだてているのか、しばらく静かになり、再び、さらに大きな音で鉄製のドアが叩かれる。 物音ひとつしない。 そして声の代わりに溜息がもれた気がする。 やがて叩く主の足音が遠ざかっていく。 隣の部屋で彼女のスリッパの擦れる小さな音。 「夕べ、ごめん

          深夜のノックと鳴らないピアノ

          歩いて国境を越える

          始発の列車に乗り込み、数日間滞在したバンコクをあとにした。 空がだんだんと明るくなり、ボックス席の隣と向かいでは、サリーをまとったご婦人グループがおしゃべりに花を咲かせ、車内販売のサンドイッチをつまんでいる。 窓から吹き込むのは、初夏の風だ。 旅は、移動の記憶だ。 遺跡が大好きだけれど、帰国してから日常のあらゆる瞬間に思い出すのは、移動の途中で出会った人ばかり。見かけただけの人を鮮明に憶えていたりもする。 たとえば東京のスーパーで日用品売り場を通り過ぎたとき。ただ、ブル

          歩いて国境を越える

          地図を超える、放課後の数分

          西武池袋線の窓に勢いよく流れる風景は、時間も超えていくようだ。 所沢市、最寄り駅は小手指。そのエリアで私は9歳まで育った。 家の窓からは、黄色い西武線が走るのが見え、夏には西武園の花火が見える。 平らな住宅地だが、栗林や里芋畑、池のような水溜りのできる空き地がところどころにあり、外で遊んでいると、思いのほか遠くまで行ったものだ。 秋のおわりの夕方、友達と別れ7歳の私は一人、住宅地を抜けて、畑と道路の境目のブロックの上を歩いていた。 その先には、雑木林があった。 友

          地図を超える、放課後の数分

          物語、音楽、身体表現、各人が発信するフェスティバルを開催。 世界の遺跡へのロードムーヴィー脚本仕上がり

          物語、音楽、身体表現、各人が発信するフェスティバルを開催。 世界の遺跡へのロードムーヴィー脚本仕上がり

          旅と東京

          タイからカンボジアへ歩いて国境を渡る。随想、音楽を奏で、散文を綴り。

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