“自己本位”で生きる
【最後の? ベートーヴェンのささやき】
伝統は我々の生活の中に、仕事の中に
生きてくるものでなければならない。
古いものは常に新しい時代に見返されることによって位置づけられる。そして伝統になる。だから伝統は過去ではなくて、現在のものだといえます。
マヤでも、アフリカでも、世界中人類文化の優れた遺産のすべて…われわれが見聞きし、何らかの形で感動を覚え、新しい自分を形成した、自分にとっての現実の根、そういうものこそ正しい意味で伝統と言えるでしょう。だから無限に幅広い過去が全てわれわれの伝統だと考えるべきです。
(岡本太郎著『日本の伝統』より)
たとえば、本国ドイツよりも日本でより広く親しまれ
年末の恒例となっているベートーヴェンの“第九”は
もはや日本の伝統的風物詩になっています。
そもそも“伝統”というものも、明治維新のとき
芸術、自然、音楽、恋愛…なんて言葉と同様に
にわかにつくられたことばであり、概念です。
東洋とか西洋とか
伝統とか革新とか
そんな窮屈な了見にとらわれず
いいものはみんなで受けとって、育もうよ
そういうメッセージをなにかの形で発信するのが
アーティストの本来の姿ではないかと思うのです。
夏目漱石は、ロンドンでの引きこもり生活から
西洋本位、他人本位ではなく
“自己本位”になればいいのだと悟ったそうです。
ここでの自己本位とは、自分で判断し、自分を信頼し
自分が感じたことを大切に生きること。
「私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました。今まで茫然と自失していた私に、ここに立って、この道からこう行かなければならないと指図をしてくれたものは、実にこの自己本位の四文字なのであります。自白すれば、私はその四文字から新たに出立したのであります」
その後、生まれた作品が『吾輩は猫である』です。
さて。その夜、再び夢に現れたベートーヴェンは言いました。
「そうだよ。だから第九の四楽章、冒頭の歌詞を
わたしは自分のことばで書いたんだ。
“おお、友よ。そんな音ではなくて
もっと楽しい歌を歌おう。
喜びに満ちた歌を” と。
音、歌、というのは人生のメタファー。わかるよね?
この曲が、年末の団員へのボーナスのためとはいえ
(それも、現実主義的音楽家だった私に相応しいことだが…笑)
数ある作品のなかから日本人に選ばたことには
大切な意味があるような気がするよ」
“自己本位で生きる”
それはまさに、
ベートーヴェンの生きざまに重なります。
そんな彼が1827年に天に召されたとき
江戸の半分ほどだったウィーンの人口のうち
2万人(*3万人ほどだったという説も)もの人が葬儀に参列したことからも
どんなに彼が愛されていたかうかがい知ることができます。
「きみは“自己本位”で弾いてる?
少なくともわたしの曲ではそれ、大歓迎だよ」
…そう言われて以来、彼は夢に出てこなくなりました。
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