【雑文】例えツッコミに潜む高度な文学性
例えツッコミというものがある。
ボケ役のひとの突拍子もない発言に対して、何か別のものに例える形でつっこむというお笑いの技法のことだ。
僕はテレビをあまり見ないのでお笑いにはあまり詳しくないのだが、最近でいえばフットボールアワーの後藤さんのツッコミなどが有名な例なのではないだろうか。
例えば、言葉を噛んでしまった相方に対して「生まれたての滝沢カレンか!」と言ったり、下手くそな料理を前にして「邪神降臨の儀式中ですか?」と言ったり。
そんな風に思いがけない方面から目の前の現象を喩えることによって、笑いを生む。
ボケに対して「なんでやねん!」「アホちゃうか!」などとシンプルにつっこむことがツッコミの基本形なのだとすれば、例えツッコミはその上位系だといえる。
例えが斬新で、なおかつ言われてみれば確かに、という納得感があればあるほど、そのツッコミは笑いを生む。
一方であまりにありきたりの喩えだったり、あるいは共感が全くできないほどに斬新すぎると、そのツッコミは観客に理解されず、スベってしまう。
簡単にできることではないし、豊富な語彙力や独特のワードセンス、発想の瞬発力が必要になる高度な技法だ。
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『児玉まりあ文学集成』という漫画をご存じだろうか。
文学部の部長で自他ともに認める文学少女の児玉さんと、文芸部新入部員の笛田君のちょっと変わった日常を描いたラブコメ漫画だ。
僕はこの漫画が大好きなのだけれど、この漫画の魅力を言葉で説明することはとても難しい。
単行本も2巻まで出ているけれど、何話分かはwebでも読めるので良かったら読んで貰えればと思う。
児玉まりあ文学集成
その児玉さんだが、第1話目は比喩についてがテーマになっている。
物語は児玉さんが植木鉢の植物を手にして言う、
「木星のような葉っぱね」
という言葉から始まる。
「それはどこが?」と笛田君が聞くと、児玉さんはこう答える。
「意味はなかった。でも今私が喩えたから、この宇宙に今まで存在しなかった葉っぱと木星の間の関係が生まれたの」
そして児玉さんはこう結ぶ
「それが文学よ」
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文学のひとつの役割は、喩えることなのかもしれないという気がする。
ただ起こったことを在るがままに描写したとして、それは単なる記録であって文学とは言えない。
本来無関係の物事の間に関係性をつくること。それによって、思いもよらない新しい形で世界を描写し直すこと。
きっと文学とはそういうことなのだろう
もしかすると、例えツッコミを使いこなす芸人さんたちは、実は高度な文学を行っているのかもしれないと、そんな風に思う。
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