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全ての、頑張り屋さんへ捧げます
私はずっと、頑張り続けてきた。
走り続けることでしか、自分の価値を確かめられなかった。努力すれば報われると信じ、がむしゃらに突き進んできた。でも、気づけば心はすり減り、理想と現実のギャップに苦しむようになった。そして心の病気を患い、今、再発の予兆を感じていて、実はとても苦しい。
SNSを通してパパ活や玉の輿で楽に生きている人を見ると、ずるいと思う自分が正直いる。でも、じゃあ彼女たちと人生を交換したいか?と聞かれると、それは違う。
結局、私は目標に向かって、歩み続ける自分を誇りに感じている。
楽な道ではなく、四苦八苦しながらじゃないと見えない景色を見たい。満たされないまま、それでも走り続ける。そんな私の葛藤と、それでも前を向こうとする気持ちを書いたエッセイです。
1. 走り続けることでしか、自分を認められなかった
私はずっと「頑張ること」が自分のアイデンティティだった。
大学時代から、男性と肩を並べるようにバリバリ働く女性像に憧れ、誰よりも努力してきた。周囲の評価よりも、自分の中の「もっとできるはず」という声に突き動かされ、勉強も部活も仕事も全力。そんな風に走り続けることでしか、自分を肯定できなかった。
「行動しないと意味がない」「努力しなければ、価値がない」「逆境からすぐに立ち直らないと、甘えだ」
そんな思い込みが、いつの間にか私を支配していた。
2. 頑張りすぎて、鬱になった
でも、走り続けることには終わりがある。頑張っても頑張っても、求める結果にたどり着かない。 気づけば、通勤途中、丸の内線の霞ヶ関駅あたりでボロボロと涙が止まらなくなった。
「もっと肩の力を抜いて、ありのままの自分を受け入れることが大事」
そう言われても、それができるなら苦労しない。
そして、逃げるように上司とまともに会話をする機会もなく、忽然と存在を消した。そんな鬱を経験してから、1年半が経過した。
また、壊れそうで不安で涙が溢れてくる夜を、一人で過ごしている。
しかし、今度はもう休めない。突然と消えることは許されない。
私を必要として下さる人がいる限り、価値提供を続けていくと決めている。
だから、壊れないようの、積極的に休みを増やし、辛くなったらジムに行くなんてことも始めた。
3. 「あり方」を見つめたいけど、現実は甘くない
「Do=何をするか」より「Be=どう生きるか」が大切なのは、頭ではわかっている。だけど、現実はそんなに単純じゃない。
SNSを開けば、ブランドバッグを持ち、高級ホテルに泊まり、ビジネスクラスで海外旅行を楽しむ女性たちがいる。私だって、自分のお金で高いチケットを買って、ちょっと悦に浸りながら、ビジネスクラスに搭乗して帰国してみたい。
「お金がすべてじゃない」
そんな綺麗事を言っても、結局はお金があれば親孝行だってできるし、やりたいことを叶えられる。
「〇〇が全てじゃない」というセリフは、
一度それを手にしたことがある人だけが声高に主張すべきだと思っている。
学歴がありながら、学歴が全てじゃないと感じている私からすると、お金が全てじゃないのは何となく理解できるが、一度手にしてからそのセリフを言いたい。
正直、玉の輿婚をしている友人が羨ましかった。
「楽そうでいいな」
そう思ったこともある。
パパ活で悠々自適に生きている女性たちを見て、「ずるいな」と嫉妬する自分がいる。私は、彼女たちの生き方を否定できない。
でも、じゃあ彼女たちと人生を交換したいか?と言われると、
答えはNOだった。
4. 20代という「何者にでもなれる」幻想
20代は、「無限の可能性がある」と思えてしまう時期だ。
「頑張ればなんとかなる」と本気で信じているからこそ、理想も高くなる。
でも、理想と現実のギャップに苦しむ。「こんなはずじゃなかった」と思う日もある。
「足るを知る」
そう意識しても、「もっと欲しい」と思ってしまうのは、若さゆえなのかもしれない。
5. それでも私は、目標に向かう自分を誇りたい
嫉妬もするし、落ち込む日もある。
だけど、私は「楽な道」を選べない。
目標があって、そこに四苦八苦しながらじゃないと見れない景色がある。
もしかしたら、経済的な安定や、華やかな生活を手に入れた方が楽かもしれない。でも、私はそれを選ばない。
だって、挑戦して、苦しんで、それでも前に進もうとする自分のことを、私は誇りたいから。
6. 「手に入れること」だけが幸せじゃない、と信じてみる
結局のところ、何かを達成することでしか満たされない生き方は、終わりがない。私が欲しいのは、「幸せな瞬間の積み重ね」だ。
「今の自分にできること」を大切にする生き方を、少しずつ模索したい。
それは諦めではなく、「もう一つの幸せの形」を探す旅なのかもしれない。
だから今日も、私は走る。
走るスピードを少し緩めながら、自分の人生をちゃんと愛せるように。
きっと、似たような女性はどこかに沢山いると思っています。
そんな同士、戦友に、このエッセイを捧げます。