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誰かを「推す」、という才能を持つ人へ
『アイドルヲタクを辞めた』
わたしがそう言うと、みんな嬉しそうに笑った。
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「推し」。
ステージの上で、一番眩しい人。そのグループの中で、一番輝いて見える人。そのアニメの中で、一番輝いて見えるキャラクター。
知らず知らずのうちに心惹かれて、気づけばもう目で追ってしまっている、そんな存在を指す言葉だ。
人それぞれの推し方があって、”推しとはこういうものだ!”という決定的な概念がないところがヲタクの好きなところだなあと思う。
わたしは小学生の頃からずっと、絶えず誰かを「推し」にして、推しのいる生活を送っていた。
せっかく貰ったお年玉をライブのチケット代で一瞬にして溶かしたり、高校生になってからはバイト代をすべて推しに注ぎ込んだ。推しに真っ直ぐで、従順で一生懸命な、ただ推しのことが大好きなアイドルヲタクだった。
それが生活の中心だったし、自分は一生誰かのヲタクをして生きていくんだろう、とすら思っていた。
言ってしまえば、それが生きがいだった。
推しのいる生活が当たり前で、推しが次々とできる自分が嫌になるくらいだった。でも、どうしてかわたしは高校卒業とともにヲタクをやめてしまった。
(ヲタクをやめた話についてはこちらの記事に詳しく書いていますので、よろしければ合わせてどうぞ↓)
ヲタクをやめてから、会う人会う人にこう聞かれるようになった。
「そういえば、最近ライブ行ってないよね?ヲタクやめちゃったの?あんなに追いかけてたのに!」
以前までかなりの頻度で足を運んでいたライブにぱたり、と行かなくなった。SNSにもよくその様子をアップしていたので、最近それを載せていないことに気づいた人が聞いてくれるのだけど。
「あ〜、そうそう。なんか冷めちゃってね…」
もうライブに行くことも無いかなあ、そうわたしが答えると、やっと目が覚めたのかと言わんばかりにみんな嬉しそうに笑う。
「そっかそっか〜!やめられたんだね!」
突然込み上げてくる違和感。
そんな言い方をされたら、なんだか今までわたしが悪いことをしていたみたいじゃないか。
まるでお酒やタバコをやめたの、と言ったかのようで(お酒もタバコも悪いことじゃないけどね)。心の中で黒くてモヤッとした何かがぐるぐると渦巻いた。
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「見返りもないのにあんなに時間とお金を使って、可哀想」
みんな、心の中でそんなことを思っていたんだろうなと思った。
確かにお金を使う機会はヲタクをしていない人より多いだろうし、使った金額だけの見返りはなかったのかもしれない。時間の使い方も正解じゃなかったのかもしれない。推しにかけていた時間でもっともっと勉強をしたり、友達と遊んだりするべきだったかもしれない。
でもね、確かにあれがわたしの青春だったの。
アイドルを応援していたおかげで、嫌なことがあっても頑張ることができた。バイトをするきっかけになった。
授業が終わった途端に学校を飛び出してライブやリリイベに行くのは本当に本当に楽しかった。遠征も沢山したし、友達との思い出も増えた。
大切な受験の前日、緊張して眠れない夜にイヤホンから背中を押してくれたのは推しが歌うあの曲だった。
推しがいてくれたから、今のわたしがある。
これは決して大袈裟なんかじゃなくて、本当にこの言葉の通りだとヲタクをやめた今でも感じている。
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誰かを夢中で応援できること、気持ちや時間、お金を掛けられること。
これって”才能”だとわたしは思っていて。たぶんなんだけれど、誰でもできるわけじゃないと思うから。
以前、友達にこんなことを言う子がいた。
「だれかを推せるって、うらやましいなあ」
その子は意図的にヲタクに「ならない」のではなくて、「なれない」らしい。いいな、と思うものがあっても長期的にずっとそれを好きでい続けたり、お金を落としたりするほどのめり込むことがないのだという。
だから好きなアイドルや歌手、タレント、アニメのキャラクターなどを「推し」にして夢中で追いかける人のことがうらやましい、と。
そんな考え方があるなんて、その時のわたしは思いもしなかった。
誰かを心から応援できること。それは誰でもできることじゃなかった。
わたしに恵まれていた”才能”だったのだ。
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「ヲタクをやめたら自分に何が残るんだろう」
ヲタクをしている時、わたしはいつもこんなことを考えていた。
ヲタクの人によくあるのが、「自分にはなんの才能もないから」と推しの姿に自分を投影していること。
推しに自分の時間や想い、お金を託して、推しがどんどん素敵になっていくのを自分のことのように幸せに感じている。
だからわたしはヲタクをやめることでその幸せを失うのが怖かった。
そのときは気づけなかったけど、誰かに自分の時間、気持ち、お金を託せるくらい好きになれること自体が、自分の才能だったんだな〜と今では思う。
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本当に突然、長い長い夢から目が覚めたみたいに吹っ切れてしまった。あんなに沢山買っていたCDや、同じものを何枚も何枚も大切に抱えていたブロマイドも、どうしてこんなに集めていたのか分からなくなってしまった。
今もアイドルを追いかけている友人たちを見るととっても楽しそうでキラキラしていて、眩しい。うらやましいなあ、って。
不思議なことに、少し前までわたしもそちら側にいたはずなのに、もう羨む側になっている。(これは才能の消失か、はたまた…?)
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誰かを「推す」こと。「推せる」こと。
それはあなたに恵まれた”才能”なのだ。
ヲタクは時々、懐疑的な目で見られる。でもそれは、個人が抱く身勝手なイメージから向けられる偏見に過ぎなくて。
推しが推しでいてくれる限り、あなたが好きでいたいと、応援したいと思える限り、どうかその人を好きで居続けてください。応援し続けてください。
もちろん、のめり込みすぎず、自分のペースで。
推せること、応援できること、気持ちを注げること。
それって、とっても素敵なことで、あなたにしか出来ないことだから。
この記事を読んでくれたヲタクの皆さんが、素敵な推しと素敵なヲタク人生を歩めますように。
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