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日本語教育の話 #2 N2以上 古典

 本日の話は、特にN2以上で漢字圏出身の留学生の日本語教育のネタです。少し特殊な状況ですが、高校生くらいの年齢で日本に留学に来る場合、かなり古典に対する関心が強く、思ったほどレアケースではないのです。例えば、百人一首。日本人でも高校生の時に必死になって覚えた記憶もあると思いますが、その百人一首をほぼ理解している留学生がいました。その子の場合、カルタ大会で普通に日本人に混じっても活躍できるレベルで、上の句だけで取れる札もかなりあるほどでした。そういう子は意外と毎年のように、やって来るので、高校生で日本に留学するという決意をしてくる子の場合、かなり高いレベルの授業内容を求めてくることがあるわけです。

 そういう留学生が来た場合、意外と困るという日本語教師の先生は多いのではないでしょうか。実際、私の勤務先には私以上に日本語教育を専門にしている日本語教育専門のスタッフが何人かいますが、古典文学を用いた日本語の授業は難しいと述べています。(その結果、大体私が受け持つことになります)。

では、そのようなやや難しい古典を用いた日本語教育はどうやったら良いかというと意外と簡単で、中学生用の国語の教科書の古典の教材を使うという手があります。学校に所属していることもあり、教科書はいくらでもあるので、教科書を見ながら少し日本語の授業用にアレンジを加えて、加工したものを毎回のハンドアウトとして使っていました。

アレンジした点は

①古典特有の語に訳を付したり、②単語のリストを付けたり、③ちょっとした背景知識として世界の文学史のスケールで言うといつ頃かといった説明をしたり、④また中国からの留学生なら漢詩や古典中国文学からの影響を足したりします。

 そう、意外と工夫していることが、そこまで難しくなく国語の教師の免許を持っている人なら、なおさら抵抗感のないようなアレンジで対応できるものです。ただ一方で注意点があります。特に③や④についてはハンドアウトに付さないことも多いのですし、調べた内容を全て足す訳ではないのですが、①や②以上に丁寧にかつ、詳しく調べてメモを用意しておきます。

 なぜなら、古典に興味のある留学生の場合、既有知識があり、関連した内容の質問をしてくることもあります。例えば、松尾芭蕉は俳諧を詠んだと説明した時、短歌、連歌、俳句との違いは何かとしっかり調べておかないといけません。ちなみに、短歌は5・7・5・7・7、連歌も5・7・5・7・7に対して、俳諧と俳句は5・7・5と音数が違うし、興った時代も違います。また、連歌は複数人で作成することを前提としており、上の句(5・7・5)を誰かが詠んだら、その上の句に合う下の句(7・7)を別の人が考え、さらにその下の句に合う最初の上の句とは違う上の句をまた別の人がつけるという感じで、共同で制作する歌という意識があります。俳諧は連歌の伝統を受け継いだもので、下の句を別の人が付けてくれるという前提で上の句のみを詠んだものです。実際、松尾芭蕉は『奥の細道』での旅において弟子の曾良を同行させており、芭蕉の詠んだ上の句(発句)に合った下の句を詠んでいることからも、芭蕉が詠んだのは俳諧なのです。俳句は正岡子規の頃まで至らないと出てきません。俳句は5・7・5の十七音で完成する作品であり、下の句をつけるという共同作業的な意識はなく、自己完結、一人での制作という作品で、連歌や俳諧とは全く異なる意識でできています。

 そういう基礎的な下調べは役に立たないことも多いです。留学生が質問しない限りは無理に説明する必要はない内容なので。だからと言って、調べないで授業をするのと、調べて授業するのではやはり内容の厚みというか、重みというかそういう目に見えないながら意味があるもので違いが出てくると言えます。辞書を調べれば全て載っていることではあるのですが、油断すると軽視してしまうので、私自身日々忘れないように精進している次第です。

以下に、扱った作品と、参照した教科書会社の名前をあげておきますので、気になる方はぜひご覧になってください。

作品 『竹取物語』「なよ竹のかぐや姫」、『平家物語』冒頭と「敦盛の最期」、『枕草子』「春はあけぼの」、『徒然草』序段、『奥の細道』「旅立ち」

教科書 学校図書、東京書籍

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