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人生観が変わった一冊

苦手な人をなくす方法に出てきた本にもかなり人生救われましたが、もっと根本からひっくり返った感、人生の答え合わせ、的な本に10年前に出会いました。飯田史彦著 生きがいの創造スピリチュアルな科学研究から読み解く人生のしくみ(PHP文庫)でも著者がこちらから読むと宗教と間違われるからまずは

ツインソウル・完全版

を読んでほしいと推奨しています。こちらを理解できる方なら安心して生きがいの創造をお勧めできると。

本との出会いは10年前、ヨガの先生がレッスン前にちょっとお話をしてくださる時間にしてくれたお話が興味深く、いろいろ質問したら、こちらの本を貸してくださいました。借りた人は背表紙の裏あたりに記名していって、ということで堂々一番上に名前を書かせてもらいました。今は何名分の記名があるのか、気になるところです。

その時のヨガの先生のちょっとしたお話、一字一句は覚えてないけれど「人は生まれてくる前に自分の人生を全部設計しているんだそうですよ」という言葉が大変キャッチーでした。

思春期には、「産んでくれなんて頼んでない」というお決まりのセリフを吐いたこともありました。なんで人は生まれてくるのかと思うこともありました。自分が生きていることに何の意味があるのかともんもんとしてしまったことも。もちろん、親兄妹がいて、自分が死んだら悲しむのもわかってるし、自殺はダメ。というものもそうだろうなとぼんやりは思ってた。でも、本気で自殺を考えている人になんでダメなのかなんて明確にダメな理由を伝えたりはできない。学校に行きたくないくらいつらいことがあったり、ほかの人と比べてみて自分の生まれた環境に不満を持ったり。そういう人、私だけじゃないと思います。

それが、実は生まれる前の肉体を持たない段階の自分というのがいて、それは今の自分よりいろいろわかっている賢い存在だというのです。解答わかってたら楽しめないから色々忘れた設定にして生まれてくるらしい。それはなんでかというと魂を磨いてどんどん成長したいから、何度も生まれ変わりを繰り返しながら人としての一生を過ごす、自らの成長のためにどんな環境が必要か、ほかの魂とも相談しあって、どの親から生まれるかも選んで、なんなら性別も選んで生まれてきているという説でした。(謎の流産とかもどうしてもこの親から男として生まれたいという時に、魂の段階で操作しちゃうこともあるらしいという説、でもこれは流産して自分を責め続けている人が聞いたらちょっと救われると思いました。とはいえなかなか本人にそんなこと言えないけれども。)私たちの存在は、大きな光の塊の一部分ずつで、みんな生まれ変わりながらどんどん成長しつづけたいと願うものだというのです。そういった科学的にどう証明するのかと突っ込まれる部分もわかりやすく説明がなされていくのです。そもそもこの本を書かれた飯田先生はもともと福島大学で、経済や経営を専門として教えておられた先生です。こういったスピリチュアルな話と真逆の、物質主義の世界の方なのです。意味不明な受験失敗を経てその肩書にたどり着いていらっしゃるのですが、それも彼の人生の使命のために必要なことだったというお話もでてきます。細部までは覚えていないのですが、私たちはみんな大きな宇宙の一部で、とても大きな何かに愛された存在で、人として生まれてきたら人生を楽しむことが大前提。みんな順番待ちをして人としての一生を楽しもうとわくわくして待っていたというのです。魂の修行といってもそれは私たちが想像するような苦行のような事ではない。いろいろとつらいこと悩み、思い通りにいかないということもすべてが「順調」なんだと。私たちがいいと思っている結果と魂レベルでいい結果とは別なんだと。ここで上記の何で自殺してはいけないのかの説明もあり、要は自分が越えるつもりで用意した問題集を途中で投げ出してしまうことで、肉体を放り出して魂の状態になった時、自分のしでかした愚かしさに恥じ入って本来なら光の中に戻る魂が自らを恥じるあまり真っ暗闇の中に入り込んでしまうのだそうです。あまりにも救いがないです。この存在がどう救われるのか、残された人の想いも関係してくるのですが適当な説明で上手く伝わらないのはよくないので気になる方はぜひ一読お勧めします。

さて、自分で自分の人生を計画してきた。と聞いた時に、こじつけかもしれないけれど、確かに自分の人生ふりかえると、人間関係でものすごく嫌な思いしたことがあって、最悪だと思っていたけれどそのおかげで自分の悪い点があぶりだされたし、反省したり考えることもあったし、もうそんな嫌な思いをしたくないからと切磋琢磨してきたことにつながっている。そもそも、そう思うように嫌なことをしてくれた相手はおそらく生まれる前に自分で頼んでいるんだろうし、人に嫌がらせをするって魂の成長的によくないのにそれでもやってくれて本当ありがとう案件なんだろうなと思うようになったり。思い通りの進路に進めなかった時も、進めたときも、何気なく選んだバイト先でも、どんな場所でもそこであった学びや出会いは今の自分を作っているし、自分の良心に従って動いてきたことでそんなに悪いようにはなってない。それどころか、生まれてきてよかった、生きててよかったという思いもしてきたわけです。

人生計画はひとそれぞれで、使命をもって生まれてくる人もいれば、細かい計画をたててきた人、ざっくりとしたアウトラインだけな人など色々あるそうです。そうやって一人ずつがいわばそれぞれ専用の問題集をもって生まれているそうです。ちょっとデリケートな問題ですが、生まれる前に死んでしまった子供にもちゃんと意味があったり、幼くしてなくなるという辛い出来事も全部、本人だったり親にだったりの魂の成長のために計画されたもので必要なものであったのだというのです。長い順番待ちでやっと人の人生を歩めるチャンスを得たのにその一瞬のために使ってしまうことは大きな成長になるということ。また災害で突如なくなるという出来事はどうなのか。これは自然災害まではさすがに計画通りではなく、コントロールできないアクシデントではあるようですが、おこる少し前にはわかることらしくそうなったときに、肉体を持っている状態の本人の預かりしらぬところで魂同士の会議があって何人か犠牲を出さなくてはいけないということで、では今回は自分が、などと名乗り出たりするのだそうです。自分の成長のための大切な人生を途中であきらめることでグンと魂の修行が進むのだとか。自分がそこまでのつらい体験をしていないから不用意にそういう事を現実社会でいう事は難しいので誰にもいいませんけどね。

この説が、正解か不正解か、そんなことは誰にもわからないけれど、ただ、この考え方を正解と信じることが自然にできました、そして生きることは楽になりました。おおきなものに愛された私たちは人としての人生の計画していますが、それは正解に通じる一本道ではなく、要所要所に選択肢があり、チャートみたいにAかBかCかと都度、選び続けていくことでその先のイベントも枝分かれして変わっていくのだそうです。その選択が魂の成長をとめたり落としたりするほうによっていくと、それを矯正するためにハードモードに突入してしまったりするそうな。そもそも私たちは人生を楽しむという大きな前提で生まれてきているんだから。とそう思うことで人生投げやりにならず、前向きに生きているのは確かです。

あまりにもスピリチュアルな話でバカバカしいかなと思ったりする人も多いかなと思いながらも、私がこの本を読んだ10年前と今ではもう少し受け入れてもらえそうな空気感を世の中に感じたりもしています。大きなものが、より良い方向に成長しようとしている。その一部である自分、この考えを肯定してくれるものに出会いました。数年前にいた職場に、京セラの稲盛和夫さんの日めくり名言集が3つ4つほど用意されてました。当番になると、全部の日めくりを毎朝めくります。朝礼ではその日出てきた名言から一つを選び読み上げたのち、それを絡めたちょっとしたお話をする、というルーティーンがありました。ルーティーンが回ってきた最初の日、まだ初めましてとご挨拶してから数日も経ってない頃でしたが、いくつかある名言の中に

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この言葉を見つけて迷わず選びました。いきなりスピっぽい話して大丈夫かなと思いつつも、稲盛和夫さんといえば経営でも大成功した地に足のしっかりついた立派な方ですよね。その方がこんなことをおっしゃってると知って勇気をもらえました。だからお話のネタとしても初めての場所でも使うことができたのですが、この話をしているとき人前で自分の意見を言うドキドキとは別のところで、胸の奥にこれまで感じたことのない熱い何かがあるのを文字通り体感しました。何かが頑張れと言ってくれているような、これでいいんだ、今自分は正しいことをいえているんだとなぜか思えました。

自分で計画した人生、なるべく最善の選択を選んでいきたいですが、時には何が正しいのかよくわからない、と迷ったり悩んだりすることもありますが、その判断基準をくれた本がありました。これまではその本の基準で試して上手くやってこれました。なので今度その本についてもご紹介したいと思います。


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粉粉-konakona-
大切な人に食べてもらいたい、安心安全でシンプルな材料で手作りのお菓子を誠実に丁寧に作れる範囲内で売る、みんなに愛される小さなお店を開きたいと思っています。