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大参事…日曜日の夕飯から学んだ事


ある週末の出来事。
大参事の日曜日の夕飯

仕事と、子育て、学び、毎日、スケジュールがびっしりで、
子供たちとの時間、睡眠時間が充分にとれない日が続くようになった。
心の奥で、正直、休息や子どもへのサポートが欲しいと感じていた。

そんなタイミングで、離婚した旦那が子供たちを週末に外出に誘うようになり、子供たちも楽しそうに出かけるようになった。
出かけた後、ひかり(二男)の精神的な不安定さが目立つようになる。
楽しく出かけた翌日はその真逆、体調不良を訴え、登校するまで時間がかかってしまう。
彼から聞こえる感情や声。
心がギュっとする 心が重い 悲しみ 孤独感 不安定な感じ へとへと 途方に暮れる
彼の心の奥に 「切望」している声が聞こえる。
「楽しかった笑顔がいっぱいのあの頃に戻りたい!取り戻したい!」彼は、心の奥のその声を聴いてしまうのが怖くてたまらない…。現実的に望んでも難しいことを彼なりに理解していたからだろう。その不安定さを処理しきれず、心の声にビクビクしている。休まる場所、自分の居場所を探している感じ。
彼のニーズは、愛、受け入れられる 聴いてもらう事、受容 温かさ サポート 気楽さ 楽しみ 自己表現

私は、彼に充分に共感する時間を取れていなかった。
彼は共感をしてもらう事を、求めずに 学校を休んで 自分の居場所やスペースを保とうとしているのだと気が付いた。

そんなある週末、元旦那がひかりの誕生日もかねて 夕飯を食べようと、買い物をして、やってきた。(午前中は子供たちと床屋に行き、子供たちと時間を共にし打合せをしていたらしい…)
3人の子供たちと、私、元旦那との夕食が始まった。
彼の一言一言が、気になり、私に切り込みを入れてくる感じがした。反応している自分がいた。
最初は、何も感じていないかのように装い、平然と会話をしていたが、私は元旦那の批判、評価、判断、ひねくった表現、ダメだし(元旦那には、そういった意識や意図があったかは解からない。そのように受け止めていたのは、私。)を観察やキリン語に変換して、リフレクションで返し、自分にスペースを保とうと意識した。リフレクションの途中であっても、彼は話途中で割入り、評価や判断を私にぶつける事が続いた。
三男が間違えてコップから、飲み物をこぼしたとき、睨みつけて威嚇する様子を私は目にした。耐えられない気持ちでいっぱいになり、苦しみを超えて恐怖となった。長男が二男にいたずらを仕掛け、飲み物が座布団にこぼれた。長男は意図的に二男にいたずらをした。いたずらが場にふさわしくないと思った私は、長男を注意した。そのやり取り。長男は注意を受けた事に イライラし、面倒な気持ちになり、責められているように受け取った。その様子を見ていた元旦那は、そのことに対して注意をした私にへの批判が始まった。場の空気が、一気に殺伐とした。
その瞬間から 今までスペースを保とうと 必死だった私は 急に元旦那から発せられる言葉の数々が耐えられなくなり 苦しく その苦しさが 過去のつらい結婚生活を蘇らせた。私の内側の反応はもう、止める事が出来なくなっていた。元旦那が、私を批判し、評価するたびに悲鳴のように叫ぶ…抱え込んでいた心の辛さを思い切りぶつけるように返し始めた。

私と元主人は言い合いになり、子供たちが泣き出した。「止めて―!!!!」「もっと、楽しくご飯を食べようよ!」「お願いだから、もう止めて!」「僕の誕生日のお祝いの手巻き寿司なんだよ!」

私も泣き叫びながら、言葉を返している。決して、相手への批判ではなかった。私を理解してほしい 尊重して欲しい 自分のスペースを保つための、精一杯の返しだった。
言葉を返せば、返すほどに 元旦那から 批判、評価、判断、決めつけ、が浴びせられた。
泣き叫びながら、長男が感情的に私に狂言した。「黙れ!おまえが黙れ!うざい!面倒だ!黙れ!!!!」「何が、NVCだ!何がコネプラだかわかんないけど、そんなの俺達は要らないし、うぜーんだ!」と、私に強く叫び、ぶつけてきた。
彼からは 怒り うんざり 息苦しさ さみしさ 理解 悲しみを感じる。 
彼は、楽しさ 気楽さ スペース 思いやりが大事だったのかな…。

その時、私は 残念 さみしい 孤独 不安 私のせいだ!と、いたたまれない気持ちになった。NVCを実践していながら、自分の子供には共感的に話をする事を感じる事をさせていない。感じるどころか、そんな面倒で意味のないもの…と、がっかりし、そう理解させてしまっている事に気が付いた。
無力感 心にぽっかり 穴が開いた。子供たちの心の健やかさ、親密さ 希望、成長、自己表現を大切にしてきたが、何も満たしてはいなかった。自己満足のNVC…内なる批判者が私の中にいた。

その後、オンラインで勉強会があり 少し共感してもらい落ついた。私がNVCを学ぶ意味や意図、強く願うその奥にあるものは 私の核となっている。
自分の成長過程で、満たされなかった体験。幼少期も今も、私の中にある 自分の課題から自然な流れの中である現実の一部分。そういったことを踏まえて、より太く、より強く、自分の核となるものを信頼していきたい。
NVCを学ぶ目的と意図。
子供たちの未来につながる、素晴らしい世界を目指す!私たちが想像する世界。
この先の人生で 子供たちが立ち止まるような体験をする時や共感が必要となった時、NVCの教えが必要となった時、世界が共感的であっていてほしい…。
私の目指す環境が広がっていることが私の希望。ただただ…そこを目指して学んでいる。
将来 子供たちが必要だと感じた時、子供たち自身の意志で 人と人とが関係性を持つこと。
その奥にある 命の喜びを感じて欲しい! 

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このの出来事は 私にとって 最大のギフトであり、その時の出来事に留まれたことを自分にお祝いしたい。

~翌日、この文章を 子供たちと一緒に読んだ。ただ黙って、涙を浮かべて受け取ってくれた。長男、二男、三男…
「ママは辛かったんだね…」
その時、私は、子供たちの心に触れた感覚や子供たちとの深いつながりを体感した。子供たちがよくわからないと言っていた「つながる」。「つながる」とは、この文を読み終えた時、私やあなたの身体に感じているもの。今、あなたのハートにある感覚だと伝える事が出来た。
そして、二男には「過去の楽しい思い出を思い浮かべた時、それは今となっては 叶わないかもしれないけれど、思い出した時にあなたの身体に広がる感覚やハートから湧き出てくる感覚を宝にしてね。その体験を忘れずに、その感覚で自分や周りの人を包んで欲しい。」と伝えた。
命の輝き…そのものだ。
彼達と共に人生を過ごせている喜びに力が湧いた。~

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