「虚しさ」と「空」が、美しくなる時・・・
70年代・・・。
時代や社会が大きく変化した時代・・・。
大きく変化すると同時に、多くの痛みを残し 今もなお その痛みが沢山溢れている。
先日「農民ロッカー」和気優さんに会いに行ってきた。
それは、それは 刺激的だったし 不思議な時間だった。
何がそうだったか 思い返すと、和気さんには「嘘がない」。
嘘がないそのまんま。人間そのものだった・・・。
そこに、ふと 安心した私がいた。
幼少期から 敏感に感じるセンサーを働かせて 生きてきた私。
その人が何を意図しているのか 感覚として受けとって、がっかりしたり喜んだりしながら生きてきた。
嘘がない純粋さに強い憧れがあり、憧れるがゆえに 目の前にいる人が何を思っているのかを感じることが 比較的得意になった。
絶望したくないから。自分を防御するために身につけてきたスキル。
得意な反面、敏感に感じるので、人との関係を持とうとするときに 安心できるまで とても時間がかかる。
表面上、人と合わせることは簡単にできるけれど「そんなに簡単に 安心なんて出来るもんか」「永遠なんて絶対ない、信頼なんてあるわけない」と、予防線を引いて 心の奥でいつも思って生きてきた。
大切だと思っていた 友達にある日突然、口を聞いてもらえなくなって身体が硬直し息ができない。固まった小学生時代。
家の中は、聞いてもらうこと、受け止めてもらうことに満たされない兄弟がお互いに傷つけあい、「ちくしょー」と言って喧嘩をしている姿を何度も見てきた。その経験が大きく影響している。
最近、よく使うzoomでも、そのセンサーはよく働く、反応する。
イライラ、喜び、焦り、情熱、そこに愛があるのか 上から目線だなとか、人間として見ようとしてくれているのかは 非言語でも充分に響いてくる。
最近は 話が上手な方や知識が豊富な人がいっぱい・・・。
情報は溢れているし、本も講座もたくさんある。知識を得たいと思えば、得られるし、論じられる・・・。
でも、そこから先が 私にとってはかなり大事で、インプットした知識をどう使いたいと思っているその奥・・・知識を言葉で表現しているだけなのか、その素晴らしい言葉のように生きようとしているのかは、自然とその人から伝わってくるし、感じてしまう・・・。
感じ取れる(あー、この感覚 年々鍛えられているのかも・・・)。
だから、その魂みたいなものを持っている人、人間性や生き方に惹かれる。
その、深い部分。繊細で胸にキューンとする物悲しいものを持っているひと。
それって、自分の生きてきた中での経験から マグマのように魂として宿る 大事なもの。
あるんだよね・・・確かに。
そしてそれは、何かを発信しているし・・・感じる。
そこに自分の意識が向くようになったら、キューンとした魂を持っている人に多く出会うようになった。
そして、私の持つセンサーはより敏感になった。
和気優さんに会って、何となく思っていたことが 確実なものだと確信に変わった。
人がその魂に翻弄される時、そのエネルギーは「虚しさ」や「空」なのかも知れないって・・・。渦の中心。
和気さんは縄文米を育て、オフシーズンは少年院や孤児院に 全国片っ端から電話をし、ギターひとつで しかもバイクで全国各地の子供達に会いに行く活動をしている。
そこで出会う子供達の姿を 自分の幼少期と重ねて見ているといっていた。「最悪の俺の子供時代・・・」「大人に利用され、捨てられて、それでも親が大好きで」「行き場がない悲しみと孤独」。
そんな子供達が 信じられないくらい 沢山いる・・・お金欲しさに子供を利用する大人・・・それが社会の現実。
和気さんは今もなお、自分の中の「虚しさ」や「空」につながって生きているのだ。
もしかしたら、私もそうなのかも知れない。
社会に絶望を感じた あの日から ずっと持っている「虚しさ」。
社会に対し、Noー!と言ったあの日。
その「虚しさ」や「空」が、私にとっては、そうまでしても生きてきた「美しいもの」、純粋に生きている証なんだと、教えてくれたのはNVCである。
だから私は、子供達やみんなに 生きる「美しさ」につながって欲しいんだ!!と、つながった。よし!
自分の中にある「美しさ」につながることは、「差し出す恐れ」を手放せる。
自分から何もなくならない。
ただ、あるものは「私」なのだ・・・。
だから、「私」は「あなた」なのかも知れない・・・。
世界は宇宙は愛でいっぱいだ♡