あの人の言う通り いつになれど癒えない傷があるのでしょう
少し落ち着いたのでご報告まで。ネガティブワード連発するので引きずられそうな方は回れ右して頂けますと幸いです。
10月3日(土)11時14分。私の大好きな祖父が永眠しました。膀胱がんになって5年。よく戦ったね。本当に頑張ったね。辛かったね。苦しかったね。お疲れ様。
私のじいちゃんはとっても頑固で自由奔放で素直じゃなくて、だけど我慢強さは親戚の誰よりもあったんじゃないかなと思ってる。そんなじいちゃんの生き方をかっこいいなと思ってたよ。
幼少期~高校生になる前までは祖父母の家によく預けられていた私にとって、じいちゃんは第2のお父さん。じいちゃんにとって初孫の私はとてもじいちゃんに甘やかされて育っていたなと思う。
母親に怒られても、否定されても、必ず肯定してくれて、味方をしてくれるのはじいちゃんだったなぁ。たくさんの愛をありがとう。いつも心配してくれてありがとう。私の高校進学も、大学進学も、就職も、結婚も、誰よりも祝ってくれたのはじいちゃんだった。
その分私がうつ病を患ってからは精神疾患のことをよくわかってなかったじいちゃんに、「若いうちに働かなくてどうするんだ!何があったんだ!?」と心配させちゃってごめんね。じいちゃん孝行の出来なかった孫でごめんね。
後悔があるとすれば、再度外で働く姿を見せることが出来なかったことと、ひ孫を見せることが出来なかったこと。だけど最後の方は私の病気のことを理解してくれて、無理はするなと言ってくれてありがとう。
じいちゃんのおかげで好きになったものがたくさんあるよ。おせんべいも一平ちゃんの焼きそばもゆでダコもあんパンも焼き鳥も、じいちゃんと一緒においしいねぇって言いながら食べるのが好きだったな。願いが叶うなら、もう一度野球の試合を観ながら一緒にご飯を食べたいなぁ。
だけどばあちゃんが亡くなってから13年、1人でずっと辛かったよね。それでも弱音ひとつも言わずに、強く生きたんだもん。じいちゃんは本当に偉大だよ。
私はじいちゃんの孫でいられて本当によかった。幸せだった。じいちゃんは私といられて幸せだったのかな。楽しかったかな。最後にそれだけ聞きたかったな。言ってくれないままいなくなっちゃうなんてずるいよ。
聞きたかった言葉を聞けないまま、いなくなっちゃうのはあまりに悲しすぎる。だけど私は伝えたいことは最後に伝えられたから後悔してないよ。どうか安らかに。やっとばあちゃんに会えるんだもん。天国でばあちゃんと仲良くしてね。
私はじいちゃんのところに行きたいなんて言ったら、さすがにじいちゃんが怒りそうだからそんなこと絶対に言わない。じいちゃんの分まで強く生きるよ。だけどもし疲れ果てちゃったら、その時は優しく迎え入れてね。そしてまた一緒に野球観ようね。
今回のことで改めて思ったこと。数日前まで話せていても、連絡が取れていても、いつどうなってしまうか分からない。だから1日1日後悔のないように、大好きな人には大好きと伝えよう。大切な人のことを精一杯大切にしよう。今ある全てのことは当たり前なんかじゃない。
今日も私と関わって下さってる皆様へ。心配して下さる皆様へ。近くにいて支えてくれてる家族へ。今日も1日大好きでした。明日も私は強く生きます。それではまた!