「死」を考えた時に初めて「生きられるようになる」
私にしては珍しく夜note。ツイートにも書いたけど、今日本屋さんで「旦那が突然死にました。」という書籍を購入した。途中まで立ち寄ったスタバで読んでいたのだけど、あまりにも辛くて中断して、続きを今まで読んでいた。
この本を読んでいろんな感情が湧き上がってきて、noteを書かずにはいられなくなったので書かせて下さい。そして私が普段実は意識してあまり書かないようにしている旦那のことも書かせて下さい。(以前フォロワーさんから指摘されてから怖くなって、あまり旦那のことは書かないようにしていました。)
「旦那が突然死にました。」このタイトルを本屋さんで見かけて思わず手に取っていた。私にもあり得なくもない話だと思ったからだ。旦那は普段危険物を取り扱う仕事をしている。その影響で前歯を折って帰ってきたこともあるくらい危険と隣り合わせの仕事だ。健康診断も一般の会社なら年に1回だが、旦那の会社は年2回ある。それくらい厳重な仕事だ。
朝早いのもあって、毎朝お見送りはできていない(出来たとしても寝ぼけて布団にいる)。その代わり帰りは早いので必ず「おかえり」が言える。今働けない私は、旦那によって生かされている。本当に感謝している。そんな旦那が突然死んだらどうなるのだろうと考えながら、この本を読んでいた。
「おかえり」と毎日言って、毎日お笑い芸人が家にいるのかと言うくらいに大笑いして、一緒にご飯を食べ、くだらない雑談をし、必ず手を握って一緒に寝て「おやすみ」と言う。自分が毎日当たり前だと思っていることが急になくなったら?私には何が残るんだろう。旦那のいない人生なんて考えたことがなかった。
この本は「当たり前」が「当たり前」じゃなくなることがあるということを教えてくれた。「当たり前」が一番幸せなんだということを実感した。ないものを探すのではなく、あるものを大切にすることの重要さが分かった。生きていると誰だって隣の芝生が青く見えることもある。だけど結局本当の幸せは、今自分が置かれている場所にあるのだと思う。
「置かれた場所で咲きなさい」という言葉があるがまさにその通り。ないものをねだってもどうしようもない。ないものを手に入れるために必死になって頑張ることも必要かもしれない。だけどその前に、今ある幸せに気づいて?と言われているような気がした。
今自分のことを大切にしてくれている人のことを大切にすること、精一杯愛すること。これに尽きると思う。だから私はこれからも、毎日笑顔で「おかえり」と言って、たくさん笑って過ごせればいいな。私のために一生懸命働いてくれている旦那へ。いつも本当にありがとう。結婚してすぐに病気になって、たくさん迷惑をかけていると思う。それでも嫌な顔一つせず、毎日笑ってくれてありがとう。
マイペースでいかにも末っ子気質で、ゆるキャラみたいな旦那が私は大好きだ。結婚して本当によかったと、私を選んでくれた人が旦那で本当によかったと思ってる。これからも旦那の最期まで、私は寄り添っていくよ。今後ともよろしくね。この記事を不快に思われた方がいたら申し訳ございません。だけどどうしても綴りたかった。それではまた!