"子供の教育格差と自己責任論"
このnoteを読む前に、鈴さんのnoteを読んでほしい。
彼女の声が、1人でも多くの人に届くように。彼女の信念が伝わるように。
NewsPicksというメディアを耳にしたことはあるだろうか。
"WEEKLY OCHIAI" この番組で、子供の教育格差と自己責任論が取り上げられていた。興味のある方は無料で一部分は見ることができるので是非見てみてほしい。
今日のnoteはまさしく自分のためのnoteだ。この1時間半の生放送を見て学んだことのいくつかをメモしておきたかった。
このYouTubeのサムネの女の子が上のnoteを書いた鈴さんだ。左はもちろん落合陽一さん。他のゲストは松岡亮二さん(早稲田大学准教授)、石戸奈々子さん(NPO法人CANVAS) 、宮田裕章さん (慶應義塾大学医学部教授)、松田悠介さん。(Crimson Global Academy 日本代表)
そうそうたるメンバーである。松岡先生が書いた「教育格差」という本はかなり売れていて、わたしが通う大学の授業でも先生の本が取り上げられていた。
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落合さん:例えば黒人問題のように顕在化しやすい事例が現れたときには、大衆はそれを一過性のコンテンツとして消費する。。消費され尽くされたら消えていく。忘れられる。結局本質は何も変わらない。大衆にとってはその時だけで終わってしまうような話になる。深刻な問題も消費されるだけのコンテンツに。
なんで今更「教育格差の問題」なんていうわかりきったことがバズったのか。
鈴さん:解り切った事だけど (若い人たちが)皆今まで、自分も格差の"当事者"だってことを言えずにいたから。だからそれを言った自分のnoteがバズったのかもしれない。(ここまでバズるなんて想像していなかった。)
◎自分のための要点まとめ
教育格差と自己責任論は理解されにくい
・格差じゃなくて「分断」が問題なんじゃないか?
・貧困の状況がそもそもバラバラなのに教育格差と貧困を繋げるのは危険では?
・地域格差は情報量の差。でも結局地方にいたことがない人には伝わらない。
・地方から東京へと「脱出」する人がいる。でも結局"大衆の普通"に同化しようとしてしまう。同質化できる共有体験をつくりにくい。
→自分と相手の"普通"が違った。
・鈴さんのように伝えることが一種の「カミングアウト」のようになっている。当人(=書き手)にとっては"リアリティ"があっても、読み手にとっては....フィクションのように感じてしまうこともある。
・日本には「弱みをさらけ出すのが甘え」みたいな風潮がある。弱みをうまく言語化することができないという背景があるのかもしれない。
・そもそもの伝えるメディアの分断=今必要な情報が届かない?
・自分以外の"普通"に寛容になれないリーダー→本当は違っていいはずなのに。
・世界に比べて日本のICT教育は遅れている。でもICT機器を与えても(ツールを与えても)それを子供たちは使うというわけでもない。そうとは限らない。
・今の日本の教師は仕事への満足度が低い。
・日本の教育の成功体験が多いからこそ日本の教育は変わることができない。
◎教育格差を変えるためには??
→言ってるだけでは共感されないので行動を!
→データが必要、だけど本当に必要なデータが足りてない。
→教育(格差)が経験のつぎはぎで語られすぎている。
・でも今すぐできることはやりたい。例えば「少なくとも"学びたい子"への支援。
・見切り発車ではなくて行動の後の反省が必要。
・格差がある中で子供達に生きる力を与えたい。
→"学力"の定義の再構築
・教育という単語にバイアスがつきまとう
→誰でも教育については語れるから、感情的になっちゃうから。
→教育はMy story ではない。
・教育を変えよう。底上げして取りこぼしのないようにする公教育から
→平均値を上げようとする個別最適の公教育へ
→だけど個別最適教育で格差はなくなるの?
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鈴さんがnoteに書いていたような「普通」や「分断」に関する話はまた別の記事で書きたいと思っている。
「教育格差」という問題は難しい。正直この90分の生放送でも激しい意見の衝突があったし、この方達が生きてきた環境こそがまず分断されているんじゃないか...なんていう感想もちらほら見かけた。
残念だったのは「自己責任論」について語れるほどの時間がなかったこと。格差をなくすためのデータを集めることに関して重きが置かれすぎていたこと。
たくさんの意見と新しく知ったことが目まぐるしく頭の中を駆け巡っていった90分だった。
子供達にある格差は、「可能性の格差」だとも思っている。可能性を広げていけるか。それだけの環境や経済力があるか。情報があるか。可能性をさらに発見できるか。可能性を増やせるのか。
子供達の誰かが諦めてしまった夢は、本当は"教育格差"なんてものがなければ叶うこともあったのかもしれない。
私に今できることはなんだろう。