「でも私は面接で『落ちる』という経験をして良かったと思ってるんだよね」
と、就活を通じてできた友達が言っていた。
彼女の周りの友達の多く(決して少ないとは言えない人数の人)は、
「行きたい1社だけを受けて、その会社に内定をもらって、その1社に就職すると決断した」人であるそうだ。
働きたいと思える1社をまず受け切ることができて、内々定をいただけて、ご縁があったということは本当に素晴らしいことである。
最も省エネで就活ができた人….とも呼べるのかもしれない。
それでも彼女はこういうようなことを言っていた。
私も同じように感じている。もちろん落ちてばかりでは嫌になってしまうけれど、「落ちたことがある」という経験は自分のために必要だったな、と思うのである。
彼女も私も30社以上本選考を受け、就活を終わらせた(終わらせようとしている)。
数多く企業を受けること・エントリー数(持ち駒)を増やすことは正義ではないし、必ずしも正解ではない。(就活に正解などない。)
それでも「落ちる」という経験をしたことにより得られた学びがあったということ。
自信があっても理由がわからないまま落とされることは良くあることだということ。
少しの苦労が、就活を充実したものにしてくれたこと。
頑張ったという経験を通して自分に残ったものが少しだけでもあったということ。
これらのことを考えた時、「落ちる」という経験をして良かったと思えるのである。
就活友達と就活を懐かしむ時間の中で、
内々定を1社もらえた時の安心感と、それにより生じるモチベーションの減退について激しく共感しあったように思う。
1社内々定をもらえたという安心感と自信と自己肯定感は、その後の自分の行動の意味を減らしにかかってくる。もうこの1社で良いような気がする、また企業研究して面接受けて この会社に本当に行きたいのかな。
内々定持ち就活生に襲いかかるのは、もう就活をやめる理由である。
頑張ろう頑張ろう というピーンと張った線は、
面接に「落ちた」時はなんとか焦りと不安で維持されるけれど
内々定 という天からの贈り物と呼んでしまえそうな安心感で、プツッとキレかけてしまう。
「落ちる」という経験をできて良かった
という考え方は、就活を終えられそうな人間だからこそ口にできる綺麗事なのだろうか。
このセリフを口にできるまでは終われない、というセリフになり得るのではないだろうか。