「知らんけど」という言い回しの効果
今日は記事の感想を書いていくわけだけれど、決して記事のメイン内容である本をお勧めするようなnoteではないし、そもそもその本を読んだわけでもない。
単純に自分がよく使う言い回しである「知らんけど」について、自分にはなかった見解が書かれていたので取り上げてみようと思った、というところである。
これを読んでくださっている方は、「知らんけど」という言葉を使うだろうか。
関東の方?関西の方?それ以外にお住まいの方?、地域によって聞き馴染みがあるワードかどうかが異なるのだろうか。
私が「知らんけど」という言葉を使う時、私は自分自身の発言に"保険"をかけている。
「詳しく知らないけれど、なんとなくこうなんじゃないかな」
「自分はなんとなくこんな考えや根拠をもとに、自分なりの正解を出しているよ」
「そういうふうに書いてある書籍やサイトがあったよ、信憑性は分からないけれど」
なんていうニュアンスを込めて。多分の意味合いを強めて。
ある意味自分自身の発言に無責任になっているのだ。
実際noteを書く中でも結構使っているんじゃないかな、と思っている。
しかし、記事の中では
これは、自己の発言に対する責任逃れではない。
むしろ非常に自覚的で責任のある姿勢なのだ。
とりあえず自分の知っているかぎりの情報を総合してわかったような結論を述べてはみたが、実際のところはよく知らない。「知らんけど」は、そんな自分を客観的に捉えて立場を表明する言葉である。
と、書かれている。
どうなんかな〜〜〜これ。
「知らんけど」、はやっぱりどこか相手のことをどうでも良いと思っているというか、相手に正しい情報を伝えることに重きを置いていないというか、そんないい加減な感じがするけれど.....。
確かに自分は分かっていない、100%知らない、ということを客観的に分かっているからこそ「知らんけど」と補足するのかもしれないけれど、
それを"そういう立場を表明している"とプラスに捉えるというのは、少々無理がある気もするような.....?
みなさんはどう思いますか?🤔
ここで沸き起こる議論として、
「知らないのであれば何も口にせず、不確かなことを口にするのは芳しくないという理由で『知らない』と伝えれば良い」
という"何も言わないのが正解"
vs.
「自分がどの程度理解しているか、その物事に対してどの程度意見を持てているかを客観的に捉えるために、自分なりの理解を自分の言葉で表現する」
という"自分なりの考えを何かしら述べるべきで、知らないや分からない、というのは良くない"
があるのではないかな?と思う。
そして私はおそらく後者だからこそ、中途半端に(?)noteを書いてしまう時があるのかな〜と思っている。
もちろんどちらが正解とかはないと思うけれど。
ただSNSだと特に後者の人が匿名で(いらないことを?)グダグダ述べるから、余計な争いが生まれてしまう....みたいな考えもありそうだなぁ、とは思う。
何か意見を少しでも述べたいときは、自分の立場とか年齢とか大学でそれを学んできたのかとか、そういう会社で働いているとか....そういうことを表明してから出ないとダメなのかもね、匿名なら余計に。
知っているか知っていないかではなく、これから意見を交換し合うもの同士がお互いについてどの程度理解した上で議論をするのか....みたいな話になってしまうかもしれないけれど。
私は「知らんけど」という言葉をnote(書く時)以外にも会話(話す時)の中で結構使ってしまうので、相手にどう受け取られているのか....という部分は考えていかなければいけないなぁ、と思う。
親しい友達と話すときによく使うので、相手も深く考えていないかもしれないけれど。
今日はこの辺で。課題orレポートをやってもやっても終わらないテスト期間に入ったので、そろそろ春休みも見えてきたな。(プラス思考)
終わり。