憧れは憧れのままか、みたいな話
ほとんどの人には憧れの存在というか、憧れている人がいるのではないかと思う。
というか身近な人に憧れを持つところから、成長はスタートする.....のかもしれない。
身近に目標、つまり憧れの存在がいた方が、自分との差を感じやすくなるだろう。何気ないところで自分との格の違いを見せつけられて、何度も何度も挫けることにだってなるだろう。
でもきっとそこが踏ん張り時なのだ。
そこで格の違いを見せつけられて、「この人には絶対に勝てない」と思った瞬間が大切なのだ。
そこで諦めてしまうことが良い悪い、の話をしたいわけではない。
私は憧れの人が2人いて良いと思っている。2人というよりかは正確には、2人以上だ。
1人は、どんなに頑張っても、一生努力をしても、絶対に越えられないかもしれない人だ。越えられない可能性の方が現時点ではずっと高いと考えてしまうくらい、雲の上のような存在の人だ。
もう1人は、あと数年頑張れば、毎日人並み以上の努力を積み重ねていけば、あと一歩のところまで近づくことができるのではないかという存在だ。手を伸ばせば届くかもしれない存在だ。つまり憧れであり、目の前の目標だ。
別世界に生きているのではないかと思えるほど 尊敬してやまない人、憧れなんていう一言では言い表せない人を目指すのは、やっぱり本当に本当にしんどい。
でも、手を伸ばしたら届くかもしれない人はそうではない。また1歩近づけたかもしれない という少しの喜びが、明日また頑張るきっかけになるかもしれない。
もしかしたら越えられるかも....という存在は、「期待」をくれる。自分にもできるのではないか、あの人のようになれるのではないか、という期待を。
「期待」を上手く味方につけることだ。自分がその「期待」に押しつぶされてしまわないように、うまくバランスを取ることだ。
「自己肯定感を高める」なんていう綺麗な言葉では言い表せない。愚直に、泥臭く、踏ん張って、期待に越えられるかもしれない自分を想像する。
それを想像できる人は、やっぱりきっと、強い。
私にとって「雲の上の存在」である方を紹介する。
以前も紹介したけれど、ワンキャリア取締役の北野唯我さんだ。
北野さんはVoicyでこんなことをおっしゃっていた。
どうして10年もかけて学んできた知識や技術を出し惜しみせず提供できるのか?とよく聞かれる。
なぜなら、「今日も私自身が誰よりも勉強しているから、毎日本を執筆して、挑戦しているから」。
だから仮に今自分が持っているナレッジを全て提供したとしても、若者が習得している間に、自分自身も新しい知見や技術を絶対身につけているという自信を持っている。
「追いついて来れるなら追いついてみろ」
私もこんなセリフと言ってみたいと思うと同時に、
こんなセリフを言えることが本当にかっこいいと感じると同時に、
この人を追いかけ続けたいと思ってしまった。雲の上のような存在である北野さんに少しでも近づくためにできることを、しなければならないと思わされた。
例えいつまでも、追いつくことができなかったとしても。
越えられないとしても。
目指し続けた先には、絶対に目指し続けた人にしか見えない景色があるはずだ。
と、そう思いたい。