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他者からの学びと自分からの学び

人生の中で読んだ本の数だけ豊かな知識を持つことができれば良いなぁなんて甘ったれたことを考えているのだけれど、本をただ読んだからといってその本から得たことを自分のものにできているとは限らない。知識はそういつも「スゥーーーっと」頭に入ってくるものでもないのだ。


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私は本当にもう何年も「数学」が好きだった。私が数学教師を目指すきっかけとなった中学の時の数学の先生は数学を心から愛していたし、ものすごい熱意で授業をしていた。彼は3年間で何本のチョークを折ったことだろう。自分の子供にも数学的な由来から名前をつけちゃうんだからすごいよね。
でも後になって嫌でも思い知らされたのは、「数学」が私にとって楽しかったのは自ら数学を学ぶことが楽しかったわけではなくて、「数学を教えてくれる他者」という存在があってこそ数学を教わることが楽しいと思ったということである。

そうだったのだ。この事実に気づいた瞬間は本当に悲しかった。それでも私は数学を教えるという立場を目指すのだけれど。
今大学でも数学をなんだかんだ学んでいるが、中学や高校の頃に比べたら楽しさは半減した。もちろん大学数学が純粋に難しいというのもあるけれどそれ以上に「数学は楽しい」と思えるような教え方をしてくれる先生が大学にはいないのだ。本当に残念なことに(うちの学科の学びの方向性的にはしょうがないのだけれど)なぜそういうことが成り立つのかというよりは それがどう世の中で生かされているかに重きが置かれているのだ。

数学はただの手段へと成り下がった。今までも手段だったのかもしれないけれどそれでも もっと昔は「どうしてそうなるんだろう!」っていう疑問が止まらなかったはずなのに。今はただただ数学を機械的に学んでいる。「ふぅん、こういう定理が成り立つんだ」って。

そんなに純粋に数学を学びたかったなら数学科に行けばよかったじゃないかと言われそうだけれど、数学科は私にとっては就職しづらい学科に見えた。数学科で学ぶ数学というのは他学部や他学科の人から見れば「どうしてそんな役に立ちそうもないこと学んでるの」って感じなんだろう。役に立たない学びに意味があるかないかなんてその人が決めれば良いのにね。てかそもそも役に立たないのか?


一方で私が心から自分で学びたいと思っている教育学や心理学。もっともっと子供に勉強を教えるだけではなくて子供1人1人と向き合いたい。子供を取り巻く環境をより良いものにしたい。教育とは何かを問いたい。
でもこれらにゴールはない。教育格差が全くなくなる未来なんてあると思う?世の中は常に変化し続けるから子供というそのもののあり方だってきっと変化を続ける。そこにゴールはない。


たとえ教育学部とか心理学部とかに進学していたとしても就職活動はやっぱりしにくかったんじゃないだろうか。
右を向けば数学科。先生にでもならなければ役に立つのかわからないなぁと自分でも思ってしまうもの。
左を向けば教育学や心理学。教授にでもならなければそれについて考え続けながら仕事をするなんて無理だなぁと自分が思ってしまうもの。

どっちを向いても結局大学での学びは就活どうしよう.....の考えに飲み込まれていってしまうような気がした。
他者という面白く教えてくれる存在があってこそ楽しいと思えた数学。それを将来仕事にできる可能性が低くとも。
自分で心から学びたいと思った教育学や心理学、そして教育心理学。それを将来仕事にできる可能性が低くとも。


どっちもどっちだから、私は今、両方をとっている。この選択が合っていたかどうかはほとんど就職活動の結果で決まってしまうだろう。両方と言いながら中途半端に両方に足を踏み入れた自分。
やりたいことが2つあったらどうすれば良いんだろうと思いながら、大学での学びと就活のつながりのあり方について考えながら。



そして最後に 自分語りしすぎたからこれはアメブロに書けばよかったんだよなぁとか思いながら。

今週もお疲れ様でした自分。