うらやんではダメというけれど
人をうらやんではいけません、自分の持っているものに目を向けましょう。そうしないと幸せになれません、というけれど最近なやんでいる。
そう思ってあきらめたものが本当は、自分が一番欲しかったもの、人生で一番欲しかったものだとしてもそうやってあきらめてしまっていいのだろうか?他のもので埋め合わせて、ほしい気持ちを全部わすれてしまえばいいのだろうか。人生の最後に思い出してがっかりしないだろうか。
でもそんなことを考えたり口に出すと幸せな気持ちからどんどん遠くなっていく。やっぱりうらやんではダメなのだ。
しかたがなくて春の夜の公園をぐるぐるぐるぐる歩く。
チューリップは散ってしまってもう助けてくれない。
途中でスマホをのぞく。友人からゆかいなメッセージが届いていた。笑って元気が出る。そんな友人がいることに幸せになり、やっぱり自分の持っているものを数えなくてはいけないのだと思って立ち止まる。
あたり一面に小鳥の落とした桜が散らばっている。それを手のひらにのせてゆく。積みあがるだけ、拾いあげてのせてゆく。夜の風はかすかでやさしくてわたしの桜を飛ばさない。小さくて不便なわたしの手のひらはすぐにいっぱいになる。
ほら、わたしはこんなに持っているものがある。
と、手のひらの花をみる。
明日はしぼんでしまう儚いものだとしても、今はこんなにたくさん、うつくしいものを、持っている。
明日しぼんでしまったらまた拾ってのせよう。
明後日ものせよう。
たぶんまだあと一週間は手のひらを桜でいっぱいにできる。
そう思いながら花をこぼさないように帰路につくけれど、手のひらの熱が桜を弱らせないか心配になる。心配しているのがいやだから水に浮かべて流してしまおうか。
でも。
やはり家までつれて帰った。
机の上においた桜をみて思う。
あきらめて忘れていてもふいに手に入るかもしれない。そんなことだってあるかもしれない。三十年間なかったけれど、あと三十年生きていればあるかもしれない。
そう思ってもう一度、友人からのメールをみて笑う。笑ってから大急ぎで眠ってしまおうと思う。