問題解決?マッチング?
あと3か月足らずで退職になるオットと
これからのことについて話しながらドライブ
前から少しこの部分で意見が違うというか
なかなかお互いにすっきり納得まで行っていない部分についての話。
オットには、世の中の仕事と言うものは、「社会の問題を解決することが求められるもの」という、しごく真っ当に思えるポリシーがあり、
私は社会には問題がある、という前提からのスタートに違和感がある。
問題があるからそれを解決することを仕事にしてお金をもらうという働き方はもういい。
問題のあるなしではなくて、「あったら嬉しい」のマッチングがうまく行けば、みんな生きていける、と思っている。その説明に対しては、このあとに出てくる「循環」と「共生」という言葉がぴったり当てはまった。
例えば、長男daiに、「万屋だいちゃん」という屋号で仕事を作った。
自分の祖父母によく呼ばれては、いろんな仕事をこなしている彼が、近くに呼べばすぐ来て助けてくれる自分みたいな孫とか子どもがいない人のお役に立ちますよ、というのが彼の仕事で、
利用してくれる方は、ちょっと来てくれたら助かるなあ!来てくれてありがとう!助かったよ!とdaiに、代金を払ってくれる。
daiはdaiで、呼ばれて自分にできることをすることで、喜ばれて代金をもらえる。
双方に良いことがあり、喜ばれ、嬉しい。
そのマッチングがうまく行けば、高齢者の方がすごく高いお金を払わなくても助けてもらえるし、daiも、すごくたくさん稼がなくても十分に生きていける循環になるといいな、と思っている。もちろん、たくさん稼げたらそれはそれで大変喜ばしい😊けど。
私が万屋だいちゃん事業をする目的は、必要とする人同士のマッチングで、お互いの必要を満たすこと。daiにとっても必要なこと。お客さんになってくれる方にとっても必要なこと。必要と必要が出会って、喜ばれて喜んで「循環」してどちらも快適に生きていけるってこと。
それを循環させていきたい。個人と個人の関係性を作りながら、循環させられたらいいのにな、って思っています。
そう思いながら、さっき本屋さんで買ってきた今月号の「FRAU~SDGs」のガラパコス諸島に生物学者として探検隊としてダーウィンと同じ経路で旅を再現して、ダーウィンの進化論に新しい視点を、という目的で旅をされた、福岡伸一ハカセの記事を読んでいて、
「共生」という言葉が目に飛び込んできました。
ガラパコス諸島は大陸から1000キロも離れた島で、そこにたどり着いた動物たちは、
羽を持っているものか、風に運ばれた昆虫、海水に卵が絶えるゾウガメやイグアナなど。島には水も資源も少なく、それらの生物は主に草食のエサを見つけ、乾燥に耐える工夫をした。だからガラパコスの生物たちには天敵もいないし、争うこともありません。(中略)生物というものは競争し闘争する側面もありますが、それだけではなくてむしろ、利己的であるというよりは利他的である、競争よりは共生を目指しているというのが本当の生命原理ではないかと、ガラパコスの旅を経て、より確信に近い形で考えるようになりました。
という一文でした。
全然違うことを書いているようで、私は、そっか!となんか得心したんです。
この記事は私はとても素敵な記事だと思いました。
興味がある方は読んでみてください。
私は、「問題ありき」と思うことに対する違和感があるみたいです。
問題解決、となると、問題はあることになって、問題がないと成立しないから、問題を生み出すことになるように思います。必要ですから。
言葉遊びなのかな?環境問題にしても、高齢化の問題にしても、問題がある、というよりは、今そういうプロセスにいる、どちらにしても進化に向かっているのだけど、地球も人間もトライ&エラーを繰り返しながらより良き方向を探していると思う、という感じです。
ふたたび、福岡伸一ハカセの言葉⇩
人はひとりで生きているわけではありません。私は「動的平衡」と呼んでいますが、自分という生命体は個体ではなく流体のようなもので、呼吸や排泄をするように、絶えず地球から何かをもらいつつ、何かを渡して生きている。人間以外の生物の振る舞いは利他的で(中略)我々人間も、同じ生態系の中で利他的に、ほかの生物と同じように責任を果たさない限りは、地球環境の一員でいる資格はありません。それには、ストックをフローに変えていく必要がある。人がひとり生存していく以上のものは溜めずに、余剰分が出る時は、ほかの生物や人々のために手放すことで循環が始まるのです。
そう、万屋だいちゃんが目指すところは、その循環です。持たずとも生きていける。自分のできることを差し出していれば生きていける。
この本を思い出しました。かなり昔に呼んだので、うろ覚えですが、良い本でした。
話が大きくなってしまいましたが、問題って何?と言うことかもしれない。
オットの言う「問題」が、私の言う「あったら嬉しい、助かる」ってことなんだろうとは思う。使う言葉が違うだけで。たぶんオットも私も、「共生」と「循環」を目指しているのは同じだと感じてはいます。
ま、どちらが正しいか決めたいわけでもなく、言いたいことはお互いわかってはいるのです、知らんけど(笑)←関西人特有のことば