そんなことしてて、なんになる?
何になるんだ?
そんなことして、何になる?
そして、そんなことをしてていいのか?もうこんな時間なのに、ほかにすることあるやろ。
私の今朝のアタマの声です。
何をしている中でのことかというと、毎朝の瞑想を邪魔する声です。
今日は、なかなか集中できないので、波の音のBGMを聴きながら目を閉じました。
するとすぐに、ハワイに行ったとき、ベトナムのダナンのホテルのビーチに寝転んでいた時などの風景に入って行くことができたのですが、
同時に浮かんできたのが、そのビーチにいる時さえ、
「こんな時間はあっという間に終わるんだ」と邪魔してくるアタマの声。
そんな無駄な声は、自分でかき消してリラックスしているつもりなのに、
「この休暇もあと何日」
「またあの仕事に戻るんだ」
「もうあとちょっとしかない!あれもしたい!あそこも行きたい!あれも食べたい!買い物もしたい!」
と、まったくリラックスできていなかった。
波の音と共に、そんな思考までがよみがえって来た。
波の音は大好きなのに、なぜか聞いていると「焦る」わたし。
こんな波の音を聴けるような休暇は、あっという間に終わる。ほんのつかの間のご褒美でしかないんだからね、3日後にはまた仕事だから!という思考。
完全に支配されていました。今もまだ。。。
のんびりしようとすると、罪悪感が湧く。焦りが出る。
私はこの罪悪感と焦りと、完全におさらばしたいと思ってる。
元々のんびり屋の私がこうなったのも、後天的な刷り込みのせいなのだから。自分を取り戻せばいい。だから「何者でもない、どこに行かないといけないこともない自分」になる。たぶん、始めたらしばらくは楽しいし嬉しいけど、一定期間が過ぎたら「焦り」始めるだろうことは目に見えている。
みんな、行くべきところがあって、働いて、お金稼いで、誰かの役に立っているのに、私は・・・って。絶対なるよな。
でも、それでも、「何者でもなくなる実験」をする。
それがうまく行けば、きっと自然と一体になって、自分もこの世界の自然の循環の一部だと感じるようになるのかな?と思う。そこまで行けば、焦りは感じないだろう。
オットは学生になるし、稼ぎのない夫婦になるけど、オットに話した。
「なにもしないで、機嫌よく生きることを人生の目標にしようと思う」というと、ええやん?と言ってくれた。
そして、その準備期間が始まろうとしている。
職場で、新人さんたちが一定期間過ぎたので、一人前としてシフトに入ることになる。そして今後残るベテランのパートさんたちに色々と任せていくために、社員の私はシフト時間を減らさないとパートさんたちが入れない。
なので、私は本来ならもっと働かないといけないのに、シフトに入らない時間が増える。嬉しいけど、心苦しい気もする。
昨日のミーティングで全員にそのように伝えたら、「ほんとに辞めるんですか」と、ずっと言い続けているのに返って来た。「この状況で?誰も来ないのに?」という彼女の心の声が聞こえた気がした。
でも、仕事は仕事なんだ。誰もが自分の人生においての優先順位と言うのがあって、仕事が一番になったり、順位が下がったり、それでも義務感とか、お金のことで人生を変えられなかったけど、自分の人生を自分で決めると決めたんだ。
私の人生の時間の使い方を、会社の不便を埋めるために使いたくはない。
仕事場が大変になるとしても、大丈夫。会社なんていつだって、なんとかなるのだ。
ということで、少しずつゆとりのある時間が増える。
でも、そこで焦りを感じていたのでは、ゆとりとは言えない。せっかく生まれたゆとりの時間、人生を本格的に自由に生きるための練習期間だと思って、思い切りのんびりしよう。アタマの声にも付き合ってあげよう。
そうやな、そう思うんやな。ありがとう。でも大丈夫。一番いいようになるから安心してていいからね♡と🤗
退学した娘は、順調に自分の人生を自由に過ごしている。
最近、姉妹で買った子犬の躾と、作品作り。あとはせっせとバイトをしている。
オットは、ようやくコロナの濃厚接触者としての待機が開け、今月末で退職というのにあと一週間で仕事納め。
オットも話してた。
「もうあとひと月もないっていう時にコロナで休むことになって、仕事がなくなる準備期間かな」と。
やっぱり焦りなのか、なんらかの落ち着きのなさを感じているようでした。
33年間も、金融系のサラリーマンで、長く営業にいた人だけに、朝から晩まで仕事、電話、パソコン、接待、飲み会、という生活をして来たところから、学生になるのだから、そりゃそうでしょうね。
のんびりすることになぜそんなに罪悪感を感じるのだろう。ね。
こんなに罪悪感を感じるほどに、私には時間がある。暇がある。。。。
お金を出しても買えない時間を山ほど持っている。。。。さて、何をしようかな。何をして自分を喜ばせ、何をして家族を喜ばせようか。
しばらくは、アタマの焦りの声が諦めて消えていくまで、何のお金にもならないような、時間の無駄にしか思えないようなことばーーーーっかり、やって過ごすんだろうなあ。
私の仕事は「今」を生きること。気分よくいること。
そう、昨日書いた、「思い込み」になるまで、自分に呪文をかけるんだ。