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私の庭でのテーマは「境界線」

大学の課題の〆切が迫って来た。。。😱
朝早起きして自分の庭の手入れをして
庭師の親方のお手伝いに行き
お手伝いがない日は図書館に一日中篭もって課題をする日々。

私の庭でのテーマはとにかく「境界線」のようだ

私は庭に生えてくる草木は自由にさせてやりたい、基本。
でも、庭である限り、私の居心地が良くないとどうしようもないのだ。
そしてこの気候では、人の手を入れないと、庭は庭ではなくなるってこと、、、もうそれは、仕方のないことなのだなと勘念しつつある。

で、どうするのか。

かのジル・クレマン氏もこのように書いています。

こうして植物があちらこちらでぐんぐん育っているのを見て、来園者は戸惑い、悪いように解釈してしまうかもしれません。そこで境目の処理をどうするかが大切になってきます。この乱雑さは意図されたもの意図されたものであって放置しているのではないということを知ってもらうための方法です。

下記と同じ

とっても良い本です。「動いている庭」より読みやすい😆
私はマーカー引きまくってます。

雑草とはいったい何でしょうか。フランスでは同じチカラシバが園芸店でとても高値で売られています。ということはつまり、雑草という概念は完全に文化的枠組みから生まれたものであり、なんら生物学的な実態を持つものではありません。
同じ植物が、こちらではよいとされ、あちらでは悪いとされているのです。私に言わせれば、植物とは生きているもの、ただそれだけです。それに寄り添うのが私の仕事です。

上記と同じ

そうなんですよ、そうなんです~😢

とはいえ、庭で草たちの生えて伸びるに任せていると、とてもじゃないけどくつろげません。。。クレマンさんの住むフランスともまた気候が違います。

それでも、なんとか折り合いをつけたい。私の納得のいく形で、植物たちと付き合っていきたい。

バランスが大事みたいです。
背の高い草を刈ると、スッキリしますが、それに寄りかかって一生懸命お日様に向かって背伸びしていた草花が倒れます。なんだか汚くなってしまう。

親方に言われたように、庭の一部の草を刈って「ダイカンドラ」をグランドカバーに植えたけど、よそから持ってきた草でそこに生えたい草たちを抑えるのも、なんとなく違う気もしていて、、、
なので、うちの庭の横のあぜ道から、チドメグサやムラサキサギゴケを少しもらって来て植えました。ダイカンドラのようにグランドカバーになりそうです。色々実験です。

私が好きな宿根草たちも少しずつ大きくなるでしょうし、今育ちつつある木々が影を落としてくれるようになれば、少し草たちの勢いも鎮まるでしょう。

境界線については、「私のいるところ」と「私が手入れするところ」と
「いろんな草が自由に生えるところ」「共存するところ」というように、今は分けています。

分けるのに、剪定した枝を組んで低い柵にしたり、レンガを敷いてみたり、それもどれが一番しっくりくるか実験。

剪定した枝で区切り
こちらも大きな枝で区切り、小径にはレンガを
それも3か月たつとこうなる
これでも周りの草の手入れはしているのだけど、、、
ハルジオンの好きにさせているところ
その後ろにはモッコウバラが元気に育っています。
もう、押し合いへし合いよね(笑)
今年は、セージたちが元気
雑草に混ざってぐんぐん
こうなると、もう刈ることもできない(笑)
最期の写真は、いつ撮ってもなんとなくストーリーを感じる小径
クロガネモチの木とユズリハとアラカシの高木の木陰
その向こうは雑草の海😆
今年はノブドウの蔓を木に巻き付けずに、デッキを這わせています。
どこまで行くやら~~~~

もう最近は、顔からも滝のように汗を流しながらの作業。
でも楽しいんだな~。
本当に、ず~~~~っと庭にいたい私です❤

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