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読書感想文 四月になれば彼女は

精神科医の藤代は、12ヵ月後の4月に婚約者の弥生と結婚式を挙げることになっている。そこに大学時代の恋人の春から伝えたいことがあると何通か手紙が届く。愛に愛想を尽いた人たちが愛に気付いていくお話。
恋や愛や情を失った人が何を求めて走るのか、愛し続けるのは不可能なのか、そもそも愛するとは愛されるとは、を考えさせられる。

春の手紙で語られる彼女の愛が綺麗だと思った。綺麗で理想的と言っても良いような気がした。その手紙を読んだ藤代が感じる喪失感は重いだろうなと思う。重いけどやさしい。春が「悲しい気持ちと幸せな気持ちは似ている」と手紙に書いたみたいに突然突き付けられた訃報ではなく、日常の些細なことで生きていたことを思い出して居ないことを実感するような、そういう感じだと思う。

何を根拠に愛されていると思うのか、自分こそ相手を愛しているのか。
そんな問いに触れられている部分は耳が痛くて読みづらい。

物語に登場する奈々と中河が失ったことを話すことで、失った者やその人と過ごした時間や失ったという事自体を過去にしていける、というセリフや描写が、春も手紙を書き終えた時にはそういう感覚だったのかなと思った。逆に藤代や弥生がお互いに過去の話をすることはないし、話せる場面でも話していないところを見ると失ったことに向き合っていなかったのだと思う。だから二人がソレに向き合っていく物語なのか。

弥生の妹の純は混沌させる存在。でも彼女から思うこともある。感情の急激で唐突な変化が相手との関係や自分自身を急激に変えることもあると。それはすごく身近で、私もよく知っている。物語の中でAIの話もしきりに出せれるが、ここが人とAIの違いにも思えた。

相反する感情を持ちながらそのバランスで成り立っているものがあるのが人間なのかなぁと思った



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