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読書感想文 「ひこばえ 上」

私は祖父を知らない。だから祖父という存在がどんなものか想像するとき、職場の還暦越えのパートさんや近所のお爺さんを、祖母の夫を父親の父親を頼りにする。でも祖父と言う存在が感じられないのに子どもを育てる意義が見い出せそうになる。

「ひこばえ」を読み始めた時、この本を30年後にもう一度読めないかもしれないと思った。私の30年後は、この物語の主人公の長谷川や他の登場人物たちとも近しい年代になる。30年後の私を想像すると上巻で知れる限りの長谷川の父親のような、家族と縁遠い人物になっているのではないかと考えてしまう。長谷川が自分の父親がどう暮らしていたかを考えるように私も長谷川の父親がどれほど虚しい時間を過ごしたかを考えていた。

上巻の折り返し地点くらいのところで、長谷川は父親が自分史を作ろうとしてたことを知った。私はここで、この父親のようになるのも難しいと思った。父親が自分史を作ろうと思った理由は分からないが、虚しさを受け入れてたのだと思ったから。


私はこの前両親に結婚することを報告しに行った。両親の返事は前々から予告していたのもあって、LINEでいうところの「りょ」くらいの軽さだった。帰り際に分厚い包みのお祝いを渡され家に帰って開けると、面食らった。私と夫になる人は結納も式も行わない、両家の顔合わせだけを両家の母親に念押されてそのうち行うくらいだ。それも、両家の父親の性格に合わせてできるだけ簡素に行うことを許された。だから面食らうほどのお祝いに2人でたじろいでしまった。私は母の性格をよく知っているので、数年前に派手めな式を挙げて結婚した兄夫婦にもまだ結婚の予定のない姉にも同じ金額を用意していることは察しがついた。

お祝いを前にして私はいずれ来るかもしれない虚しさに既に負けそうだった。子どもを望まず、親族付き合いにも腰が重い私が例えば夫になる人に先立たれることで義家族、家族とも疎遠になったら、どれほど虚しいだろう。その虚しさを受け入れられる自信がない。

子どもを望まない、が揺らいだ。ほとんど望まない、から多少望むくらいに揺らいだ。今決める必要が無いのは承知してるが。
でもそれが虚しさを感じないため、はまるで自分の老後の介護を押し付けるようだ。両親も望んでいるだろう、は私の勝手な認識だ、両親は私たちの人生が豊かであるようにと想ってくれている。

上巻後半の、長谷川の父親の友達の神田が長谷川の息子に言った台詞が好きだ。
ノブさん(長谷川の父親)はまだ長谷川の息子の祖父じゃない、息子にとっての父親の父親なだけだ。という内容だった。
私の、祖父の認識と同じだった。
相手が死んでしまっていても、知りたいと思うことで関係は繋がる。というようなことも言っていた。

父方の祖父の話は幼い頃からよく耳にした。祖母やいとこや兄や両親から。反対に母方の祖父については知っていることがひとつもなかった。

祖父は孫の結婚をどんな風に喜ぶのだろうか。
母は父親のことをどれだけ覚えているんだろうか。
母方の祖母は今でも夫が生きている日常を想像したりするんだろうか。

結婚の挨拶で仏壇に線香をあげた時、いつもなら「ただいま」とか「久しぶり」とか念ずるところを無になってしまったことが悔しくなった。

気付けば虚しさへの不安が薄くなっていた。

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