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読書感想文 本を守ろうとする猫の話

祖父を亡くしたばかりの高校生・林太郎が祖父がやっていた古本屋・夏木書店で、喋る猫と出会う。猫は本を助けてほしいと林太郎に頼み不思議な空間に案内する。


物語に登場する四つの迷宮のそれぞれの主はもっともらしいことを言うがその中にウソが紛れている、と猫が林太郎に最初に言ったのでどこが嘘だろうと主たちのセリフを読み直した。

第一、第二の迷宮の主たちは多くの本を読むことにこだわっている。私も今の長期休暇中で読んだ本は10冊いかないくらいだ。今までを思えばかなりの頻度で本を読んでいる。無理に読み過ぎているのだろうかと思った。
多くの本を読むためには書かれている内容を早く頭の中に入れることだというのは間違ってなくて、でもただ頭の中に入れるだけというのは何だか悪く感じる。
第二の迷宮を読んだ時に思い出したものがある。前にYouTubeでグループユーチューバーがやっていた企画で、一人目がある一冊の本で読書感想文を書き、次の人が一人目の書いた感想文で読書感想文を書く、3人目が2人目の感想文で読書感想文を書くというものだった。動画自体面白かったのだけど、この企画をやろうと思った人たちに親近感が沸いた。さきの「頭の中に入れるだけというのは何だか悪く感じる。」の理由に触れられるから。

私は子供の頃勉強とか宿題とか嫌いで、義務教育で習うことは頭の中にチップで埋め込んでほしいなと思っていた。今でもいつかの未来ではそうなるんじゃないかって思っていて、本当にそうなったら嫌だなぁと今は思っている。こういう事柄に嫌だなぁと思う気持ちで、私の創作小説のマガジン、ラベンタのエピソードは書き進められている。

私の読書感想文は学校に提出出来ない代物だと思う。感想が本に寄り添っている箇所があまりに少ない。いつも話題がひっちゃかめっちゃかしている。読みながら思い出したことや考えたことをありのまま書いてしまう。
だから私は本を読むのだと思う。
読んでいる過程で感じることや考えることがあるから。

この本を読んでからしばらく読書が捗らなかった。この本を読み始めた時、猫のセリフがすごく好きだと思った。読んでる時もう一度読み返したいと思った。読み終わった時、また読み返したいと思う本が何冊あるだろうと本棚を見に行った。本を並べて喜ぶコレクターみたいになっているのだろうか、noteで読書感想文を投稿するためだけに読んでいるのだろうか、読書感想文用のマガジンに投稿記事が並ぶのを喜んでいるのだろうか、とか考えて、最後は少し自分を励ました。

本は余裕が無ければ読めないし、読むにしても紙でも電子でもいい、買うでも借りるでもいい。選択肢がある中で本を買って読み本棚に並べるのは、たまには家族に本を貸したいからもある。あとはたまにふと物語中の場面を思い出してどの小説だったかなと答え合わせする楽しさもある。
本を読むことと音楽に触れることは似ていて、それをしている時に感じた考えたものたちが自分の中の空虚を埋めているように思う。


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