和田博文編『星の文学館 ー銀河も彗星も』ちくま文庫
短編アンソロジー『トラウマ文学館』を読んでみようかと思いながら、同じシリーズの『星の文学館』を図書館でなんとなく借りてしまった。トラウマよりも星について考えた方が精神衛生によさそうではないか。
たくさんの人の短編小説、エッセイ、詩、戯曲などが収められているが、大きく分けるて科学的なものと文学的なものがある。科学的センスのまったくないわたしは当然ながら後者をより面白く感じた。中でも印象的だったのが、寺山修司の戯曲「コメット・イケヤ」と、大江健三郎の「宇宙のへりの鷺 ー書かれなかった小説を批評する」だった。
「コメット・イケヤ」は、新しい星を発見した池谷某という男と、それとは無関係に行方不明になった別の男の話。「私たちが何かが発見したときには、同じ世界の中に何かを失わなければならないのではあるまいか」という思いから書かれた。池谷はそのあとも新しい星を発見するが、行方不明の男は見つからないまま忘れられていく。実際の舞台が想像できる、この雰囲気。天井桟敷とか状況劇場とか、この時代の芝居の雰囲気がなつかしい。
「宇宙のへりの鷺」は大江の亡くなった知人が長年温めていたという小説の話。「宇宙のへりに巨大な鷺がいる。その羽ばたきが、地球上の都市に住む、それもおそらくは東京の市井に住む、主人公の魂のまぎわににまでバサバサと響く瞬間があり、それが彼の情念と思考はもとより、行為までも根本的に動機づける」という、この中心イメージが素晴らしい。そのあと大江はそれを宇宙論とか文学論に展開していくが、それは余計なことだったと思えるほど、この最初の「宇宙のへりの巨大な鷺」がよい。このイメージを壊さないためには、普通の小説ではなくてファンタジーか詩の方が良いのではないか。
そのほかの星や宇宙についての文章も、つづけて読んでいくうちに自分の脳内がすがすがしく広がっていき、冷たい空気が入って来るようで、とてもいい気分転換になった。『星の~』を選んだのは正解だった。『トラウマ』にも惹かれはするけれど、いまはやめておこう。