井坂洋子『はじめの穴 終わりの口』幻戯書房
詩人井坂洋子の詩はドキリとするような凄みがある。その人のエッセイはどんなだろうと思って読んだ。思ったほどは過激でなく、凡人であるわたしでも充分共感できるものだった。でもやっぱり微妙に風変りで、魅力的だ。
スタイルとしては各章でまず詩を1篇引用し、その詩から思いついたことを思いつくままに綴るという感じで、文章にはきっちりとした構成はない。冒頭の詩の解釈らしい解釈も特にはない。そういうのもいい。引用した詩も有名大詩人(たいてい男性)ではなく、井坂がほんとに好きだったり面白いと思った詩のようだ。
「平和な旅」は、筆者がシベリア鉄道でモスクワまで行った話。鉄道の中で風変りで人懐こい(ちょっと迷惑な)日本人に会う話。武田百合子の『犬が星見た』にも面白い日本人が出てきたなぁ。
筆者の父親はやたらと家族に怒る人で、常に怒るタネを探しているのかというぐらいだった。父が亡くなったあとで、母親とそんな話をしているときにカマキリが現れて、ひょっとして父親がカマキリになって聞いていたのではと笑う話。怒ってばかりの父も病気になったとき、病院に診断結果を聞きに行く家族に「お願いします」と言ったらしい。
「四匹の猫の話」。吉原幸子の猫の詩「ゐる」を読んだら泣けた。死んだ猫について書いているとき、何者かが部屋に入ってきた気配がする。メモ1枚が見当たらなくなる。落ちているのではとベッドの下に手をさしこむと指がやわらかい毛深いものにさわる。そして最後の2連はこんなふう。
のぞきこむのはよさう
そこにゐるのは あの子にきまってゐる
でものぞいたら きっと
スリッパのふりをするだらうから
青びかりの瞳で 詩をよみ終へ
わたしのしをからい指をなめ終へたら
たましひよ
今夜はその暗がりで
おやすみ
理由があって夫と百日間、口をきかなかったという友人の女性の話もあった。その間に夫は3回もぜんそくで救急車で運ばれたらしいが、それを全然知らなかったのだって。すごいな。
少し前のフランス映画を見ていたら、「自立なんてつまらない。人生は依存のゲームだよ」というセリフがあったそうな。
最後に。どきっとするような詩を見つけた。長いけど全部写す。
「動作」ジュール・シュペルヴィエル 安藤元雄訳
その馬はうしろを振り向いて
誰もまだ見たことのないものを見た。
それからユーカリの木の陰で
牧草をまた食べつづけた。
それは人間でも樹でもなく
また牝馬でもなかったのだ。
葉むらの上にざわめいた
風のなごりでもなかったのだ。
それは もう一頭の或る馬が、
二万世紀もの昔のこと、
不意にうしろを振り向いた
ちょうどそのときに見たものだった。
そうしてそれはもはや誰ひとり
人間も 馬も 魚も 昆虫も
二度と見ないに違いないものだった。大地が
腕も 脚も 音も欠け落ちた
彫像の残骸になるときまで。