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井坂洋子『黒猫のひたい』幻戯書房

こないだ読んだ『はじめの穴、終わりの口』が面白かったので同じ作者のエッセイをもう1冊。『はじめの穴~』よりもやや格調が高めか。こちらもよかった。特にそのテーマが多いわけではないのだが、生と死についての文章が印象に残った。

たとえば「父のステーション」。亡くなった父親が特に社交的でもなかったのに最後に、駅に行きたい、人が見たいと言っていたこと。それが叶わず、家から出棺したときにやっと外に出られたという話だが、その終わりに作者は死のイメージについて語る。

「私には幸福な死のイメージがひとつある。それは、学校時代、一人だけ早引けして、みなが教室に入り、静かになったひろい校庭を横ぎる感じだ。校門を出て、ポカポカ陽のあたる道を行く。左右の生垣の、葉の繁みに目をやりながら、ひっそりした住宅街を歩いている。たった一人だなぁと思う。みんなとはもう関係がなくて、自分だけの視界をおずおずとひろげる。よけいな声に煩わされることもなく、鳥の声などが空から降ってきて、誰からも採点をされず、身を隠すようにして駅へと向かう。」

不思議な明るいイメージだ。もうひとつ、「死と詩と」でも、身近な人たちの最期を思い出しながら、こうつぶやく。

「それにしても死とは、生涯をかけてそのことを考えるというような大層な意味をもつものだろうか。自分もまた、中途で行かなければならないと思う時、それにのさばられたくはない気がする。/あのイベントの日までに準備をしておかなくてはとか、あと1か月で卒業だというような、目前の、ちょっと大きな行事程度のことだと思いたい。それらは過ぎ去ってしまえば、取るに足らないことであったかのように突き進む。/死は、死の数か月、いや数日前にまかせておけばよいのではないか。それまで忘れていてかまわない。忘れている間に死が育つこともない。死神の衣の裾を踏まないように、迂回しながら、静かな生の寝床のなかに、あるいは笑いと喧騒のささやかな渦のなかに、まぎれていたいと願う。」

ほかにも飼っている猫たちの話をはじめ、動物の話もいくつからある。「犬は狗、馬は駒とも言うが、句という文字をもつ動物は、この世とあの世の媒介者になることが多いと、ものの本には書いてある。」というのも初めて知って感心した。最後に、これはたぶん誤植だと思うけれど、作者の後書きの日付が「2104年2月27日」となっていてちょっと驚くが、この人らしい気がしてふふっと笑った。




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