「やめて」と言葉で伝えること┊︎保育園での子どもの話
はじめに、わたしは子どもの頃から「やめて」が言えなかった。
友達から嫌なことをされてもただ泣くことしかできず、周りの大人が必死に仲介し、なだめてもらうような子ども時代を過ごした。
そして、自分で自分を守る術を身につけず、何となくそのまま成長し、学校のいじめや職場のパワハラなど、道徳的に間違っていることをされている状況でも、自分の意見を言えず、ただ我慢して泣くことが多かった。
今回は、そんな気弱代表のわたしが保育園でクラス担任をしていたとき、2才の子どもに「やめて」と言うことを伝え続けた話をさせてもらいたい。
1.保育園で多い子ども同士のトラブル
2才のゆりちゃん(仮名)は、毎日のように友達に噛みついたり、叩いたりしてしまう時期があった。
そして、やられた側の子どもが泣いているのを見るのは、とても胸が痛かった。
傷ができてしまうこともあり、大切な子どもたちを預かっている中で守りきれなかったのは自分の責任であるため、やられた側の子どもの保護者にはいつも申し訳ない気持ちで、謝っていた。
噛みつきや手が出てしまうことは、発達的に考えて、この月齢の子どもでは、事例がかなり多い。
しかし、わたしは「保育園」が子どもにとって安心して過ごせる場所・保護者にとって安心して預けられる場所であるためにどうしたらいいか、とても悩んだ。
子どもへの関わりと、トラブルを事前に防ぐための対策を模索し続けた。
ここでは、テーマに沿って、実際に行った子どもへの関わりを話していく。
2.ゆりちゃん(仮名)の言葉の発達
ゆりちゃんは2才で、分かる言葉は多かったのだが、言える言葉が少なかった。
少し余談だが、子どもの言葉は、氷山に例えられることがある。
水面下に「わかることがら」「わかることば」がたくさんあり、初めて「言えることば」が水面上に現れる。
言葉の発達は、子どもによって個人差がかなり大きい。
ゆりちゃんは「ママ」「パパ」「はっぱ」「ぴっぴ(お気に入りの絵本の鳥の名前)」など簡単な単語を、とても小さな声で発語することが時々あるくらいだった。
自我が強くなってきたこの時期に、「イヤ!」「じぶんでやる!」「これがいい!」など、言葉で自己主張することはなかった。
噛みつきや手が出てしまう原因はいくつか考えられるのだが、ゆりちゃんは言える言葉が少ないこともあり、感情を思うように解放できないもどかしさが特に強くあるように感じた。
しかし、分かる言葉が多かったため、わたしの話によく耳を傾けてくれて、よく理解をしてくれた。
3.トラブルが起きた時のわたしなりの関わり
友達を噛んだり叩いたりしてしまった時、まずわたしは、ゆりちゃんと同じ目線になって向かい合い、しっかり目を見て「いけない」「痛いよ」「(お友達が)えんえんしてるよ」と真剣な表情で伝えた。
噛んだり、叩いたりするのは、暴力である。
まだ小さい子だから分からないだろう、と決めつけず、人を傷つけても大丈夫だとは、決して思って欲しくなかったから、一所懸命に向き合った。
すると、ゆりちゃんは顔を真っ赤にして怒っており、何か頭の中で思っていることがたくさんありそうだが、それを上手く表現できないもどかしさが物凄くあるように感じた。
そこから、ゆりちゃんが何に対して嫌だと感じたのか、一緒に考えた。
ゆりちゃんが納得する嫌だったことの原因を導き出せたら、必ず、「○○が嫌だったんだね。」と気持ちを言葉で代弁して、思いに寄り添った。
そのあと、もう一度、それでも噛んだり叩いたりすることは痛くて悲しいことだからいけないことを伝えると、その前に気持ちを受け入れてもらえたことで落ち着き、"うんうん"と頷いて納得してくれた。
そして、その時に「嫌なときは『やめて』って言ってみよう。『やめて』って言っていいんだよ。」と強調して伝えた。
保育の世界にも色々な考え方があるが、わたしはこのやりとりを一貫して、その都度、真剣に続けた。
トラブルが多ければ、他の子に比べて叱らなけれならない場面が必然的に多くなってしまうため、それ以外の場面では、ゆりちゃんと生活や遊びの中でたくさん笑い合い、心を通わせ、安心して楽しい時間を過ごせるように心がけた。
4.半年後の、ゆりちゃんの「勇姿」
半年ほど経ったある日のこと。
夕方の自由遊びの時間、突然、
「やめてーーーーーーー!!!!!!」と叫び声が聞こえた。
・・・え?だれの声だろう?と思った。
少し目線をずらしてみると、そこには顔を真っ赤にして仁王立ちしているゆりちゃんがいた。
ゆりちゃんの声だったのだ。
まだ体は小さい子ながらも、勇ましい姿だった。
なんと、ゆりちゃんは、お友達におもちゃを取られてしまったのだが、初めて、その嫌だった気持ちを「やめて」と言葉にして伝えられたのである。
わたしは嬉しくて堪らず、すぐにゆりちゃんを抱きしめ、「ゆりちゃんすごい!!!『やめて』言えたね。よく頑張ったね。」と言い、小さなゆりちゃんの大きな成長に感動して、自然と涙が溢れていた。
そのときのゆりちゃんは、おもちゃを取られてしまった後の子とは思えないくらい、わたしが頑張ったことを褒めると、満足気で誇らしい表情をし、嬉しそうに抱きついてきた。
それから、ゆりちゃんは嫌な思いをしたときにその都度、友達に「やめて」と伝えるようになり、噛みつきや手が出てしまうことも、初めて大きな声で言えたあの瞬間から、全くなくなった。
5.まとめ 「自分の尊厳を守る」
今回は小さな子どもの話だったが、2才でも、人格形成の基礎や、自分と他者とのコミュニケーションの基盤を培う大切な時期である。
ゆりちゃんは「やめて」という言葉を伝えられるようになることで、だれも傷つけない形で、自分の尊厳を守る方法を覚えた。そして、傷つけられる子も、いなくなった。
子どもへの関わりに、自分の経験からくる価値観を投影してしまった部分はあるが、結果的に見ると、自分の行動は子どもたちにとって良い影響を与えられたのではないかと、今は肯定することができる。
しかし、かく言うわたしは、はじめに述べた通り、残念ながら、なかなか「NO」が言えない大人である。
だから、それができる、ゆりちゃんがかっこよくて仕方ないのだ。
わたしが、自分はできないくせに、子どもに願いを込めて繰り返し伝え続けた言葉、
「嫌なときは『やめて』って言ってみよう。『やめて』って言っていいんだよ。」
今度はわたしがわたしへ、ゆりちゃんに教えてもらった姿を思い出しながら、繰り返し、伝えていこう。
わたしは、相手の思いを丁寧に汲みとる優しさを持ちながら、同時に、自分の尊厳もしっかり守ることができる大人を目指し、日々慢心せず、努力していきたい。